
19年ぶり出場の京都成章は粘りも及ばず、サヨナラ負けを喫した
同級生が集まっての話題と言えば、あの試合が“鉄板ネタ”である。
1998年夏、京都成章は決勝で横浜・
松坂大輔(現
ソフトバンク)にノーヒットノーランを喫した。この季節になると毎年、当時のセンターカメラからの映像が流れる。9回二死。松坂は空振り三振に斬ってガッツポーズ。
「最後のバッター(田中勇吾さん)はあんなボール球を振って、しかも天を見上げて……。『役者』って言っているんですよ!」
絆が固いからこそ、親しみを込めて話す。報道陣を笑わせてくれたのは、臨時コーチとして現在のチームを支える安田稔さんだ。
98年夏、同期の3年生でベンチ入りできなかったのは安田さんを含めて3人。うち2人は補助員としてチームに帯同していたため、「私だけ甲子園の雰囲気を味わっていないんです」と、応援団長としてアルプス席を盛り上げた。
以来、今夏は19年ぶりの甲子園出場だ(春は2011年に出場)。8月14日、神村学園との2回戦。安田さんは試合開始後も落ち着かなかった。
「気持ち的には早く打ってほしいと思いました」
2回表に主将兼エース・
北山亘基(3年)がチーム初安打を放ってホッと一安心した。
「いつか打つだろうとは思っていましたが……。あの決勝では9イニングノーヒット、19年を挟んで1イニング目も出ない(苦笑)。11イニング目にようやくでしたからね……」
試合は1点を追う9回表二死から茂木健(3年)が右中間へソロを放ち、土壇場で追いついたが、その裏にサヨナラ負け(2対3)。19年ぶりの甲子園勝利はならなかったが、京都成章が歴史の1ページを記せた意義は大きい。
「僕らなんて、ホームランはなかったんですよ。まさかあの場面で打つとは……。持てる力を120パーセント出し切ってくれた。勝ち負けはつくもの。最終回、チームとして追いついたことに成長を実感しました。やっぱり、甲子園は良い場所。1、2年生にも伝えていきたい」
今夏は京都大会決勝にも10人ほどの同級生が足を運ぶなど、準優勝メンバーは母校愛が強い。次回の同期会は果たして、どんな展開になるのか!?
「今後は1998年夏ばかりではなく、北山の映像も流れるでしょうから、田中も少しは気が楽になるのでは……」
安田さんは優しい顔で、かつての仲間を気遣っていた。
文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎