テレビ実況・解説を務めるC.J.二コースキー

今年はレンジャーズの試合を実況・解説している二コースキー(写真=奥田秀樹)
レンジャーズからドジャースへ。
ダルビッシュ有の電撃トレードを見送る立場だった人物がいる。元
ソフトバンクホークスの左腕投手で、今季レンジャーズのテレビ実況・解説を務めるC.J.
ニコースキーだ。
「トレードにはとても驚いたが、球団にとっては賢明な判断。新しいルールでレンジャーズがオフにFAでダルビッシュを失ったときの補償が、1巡指名権ではなく、2巡以下の指名権に下がった。優勝争いは厳しくなっていたし、その指名権で取れそうな選手以上の見返りを得られるなら、トレードをするのはビジネスとして妥当な判断。一部のファンが怒る気持ちも理解できるが、これがMLBのスタイルだからね」
2007年、08年にホークスで投げたニコースキーは韓国野球を経て、12年シーズンを最後に引退。13年からはメディアの立場に移った。FOX、MLB公式サイトなどネットサイトに記事を寄稿する一方で、MLBネットワークラジオのホストを務めた。今年はレンジャーズのテレビ実況・解説の職を得て、ダルビッシュの活躍を身近に見てきた。
「覚えているのは07年、北海道でトレイ・ヒルマン監督から『ダルビッシュは世界一の投手になれる』と聞かされたこと。私が一番感心しているのは、NPBで9回あたり8.87個の三振を取っていたのが、MLBに来て11.10個と数字をさらに上げたこと。世界のトップの中で自分の持ち味に磨きをかけた。すごい投手だよ」
ニコースキーはメジャーで336試合に登板。44試合に先発、18勝32敗、防御率5.37。スターではなかったが、豊富な経験がメディアの世界で生きている。
「マイナー、メジャー含めて、40人の監督の下でプレーした。球団で言うと、8つのメジャー球団、3つのマイナー球団、ソフトバンク、韓国の3チーム、ドミニカ共和国のウインター・リーグの2球団……」
近鉄、広島とは縁がなくソフトバンクへ

ソフトバンクには07、08年に在籍。中継ぎとして通算85試合に登板し、3勝5敗2セーブ19ホールド、防御率3.99だった(写真=BBM)
日本人選手や日本の球団ともさまざまな形で絡んだ。
「2000年のタイガースでは、野茂(英雄)さんがチームメートだった。冗談が大好きでね、みんなをリラックスさせる。スプリットが武器のすごい投手なんだけど、一番に記憶にあるのはあの楽しいキャラ。05年、インディアナポリスのマイナーの試合で再会。彼は当時ヤンキース傘下の3Aコロンバスにいたよ」
04年はヤンキースで
松井秀喜のチームメート。
「あのときは私がレンタル移籍でブレーブスから7月末に移ってきた。短い期間で、松井とゆっくり話すチャンスはなかったけど、彼が毎日すごい数のメディアに囲まれ、きっちり対応していたのに舌を巻いた。スターはさすがだなと感心したよ」
30歳が近づいてくれば、ニコースキーレベルの選手は、MLBでの限界を察知し、真剣に海外でのプレーを考える。
最初に日本球団に誘われたのは03年、30歳だった。
「近鉄から声がかかってね、あの年はレンジャーズにいて、年俸はほぼ同じ。メジャーに上がるチャンスがあるとみて断った」
しかしながら、大半は3A止まりだった。
06年は3Aインディアナポリス(パイレーツ傘下)。
「途中で
広島カープに誘われ、行く気だったのに、パイレーツの要求したトレードマネーが高過ぎて不成立」
そのオフ、マイナーの
リー・タネル投手コーチからホークスに興味があるかと聞かれた。
「彼もダイエー時代(91~93年)に投げた経験があった。私は100パーセント興味があると返事をした。行ってよかった。王(貞治)監督の下でプレーできたし、多村(仁)、和田(毅)、杉内(俊哉)らみんなと仲良くなれた」
そのとき、日本で見た若武者ダルビッシュがアメリカで30代になった。
「実は私は98年当時ナ・リーグだったアストロズにいて、マリナーズからレンタル移籍で来た
ランディ・ジョンソンが2カ月間で10勝1敗の大活躍、三振の山を築いたのを見た。ダルビッシュも同等の働きをすると予想している。身体の状態もいいし、次の6年も十分に第一線で投げられるはず。このオフは、少なくとも5、6年の良い契約を結ぶと思うよ」
ダルビッシュのMLBでのさらなる飛躍を予言する解説者としてメジャー球界で活躍中だ。
文=奥田秀樹