1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールONLINEでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを振り返っていく。 番記者は休日も半ば自宅待機状態

大洋の新人の斉藤が王を1安打に抑え、完封の6勝目
8月30日は警視庁の青少年非行化防止キャンペーンポスターの撮影。王の後にズラリと連なってくる王番記者の列に、警視庁の担当者も目をシロクロさせた。
王番記者の心は、大記録達成の歴史の証言者として使命感にあふれているが、体はもうバテバテだ。ほとんどの社では休日をローテーションどおり取っているが、「大記録が出たら、ただちに出社すること」とデスクに厳命され、半ば自宅待機状態。「おちおち酒も飲んでられないよ」は、酒好きの記者のボヤキだ。
試合は本拠地に戻っての大洋戦(後楽園)だ。大洋の先発は新人右腕の斉藤明雄だったが、王は四球、一ゴロ、ライト前安打で、8回の最終打席も三ゴロで不発。その瞬間、球場に大きなため息が起こった。チームも0対5で敗れた。
試合後の王は「斉藤は、いいコントロールをしていた。ただ、僕は(ホームランをシーズン)100本打てるバッターじゃないからね」と目をギラギラさせながら質問攻めをする記者団の前で苦笑。さらに、この日、10月から東京-サイパンの新路線をスタートさせるコンチネンタル航空から王に756号の世界新記録を打たれた投手に「サイパン旅行」が贈られると聞き、「えっ!」と目を見開いて驚いていた。
新設の方向で進んでいた「国民栄誉賞」は、閣議で了承を受け、正式決定。記録達成後、すみやかに授与式を行うことが確認された。
<次回に続く>
写真=BBM