試合後グラウンドを1周し、ファンにあいさつする前田
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月1日だ。
2007年9月1日、
広島の誇る“完全主義者”が男泣きした。
ヒットを打っても自分の納得のいくスイングでなければニコリともしない。それどころか悔しそうに顔をゆがめることもある。声援にもニコリともせず、愛想の欠片もない。
それがベテランとなって、次第に表情が緩むようになった。広島は、市民球場での主催ゲームでは、試合途中でもテレビのミニ・ヒーローインタビューがあったが、ここでの
前田智徳はよく笑うようになった。
1995年に右アキレス腱の断裂、00年には左のアキレス腱も痛めメスを入れた。そんなどん底からはい上がって1500安打を達成したのが04年の5月8日。このあたりから前田が変わったように思えた。「自分には野球しかない」という思いが年々強くなり、野球へ、そしてどんなに調子が悪いときでも、自分に声援を送ってくれるファンへの思いが強くなってきたからだ。
07年9月1日の対
中日戦(広島)。「あと1本」に迫った前田の史上36人目の2000安打目をひと目見ようと球場は2万9541人のファンで超満員となった。
その瞬間は、8回裏二死満塁で5打席目が回ってきたときだった。「最高の形でみんなが回してくれた。ここで打たないとさすがにいかんやろ」と、この打席に19年の野球人生のすべてをぶつけた。
久本祐一の135キロのストレートを右前に運び、2000安打目は1011打点目をマークする2点タイムリーとなった。
試合は14対7で広島の大勝。お立ち台の前田は、とにかく勝ちゲームで打てたことに安堵し、それが涙腺(るいせん)を緩めたのかもしれない。「チームの戦いは悔しいことばっかりで……。責任を感じています……」と言いながら、込み上げる涙を抑え切れなかった。おえつで声が震えた。
笑うようになった前田にホッとしていたファンは、今度は男泣きに泣く前田に驚いた。“完全主義者”も、極めて人間的な野球人だったのである。
「今日という日は、一生忘れない。これからも強い体をまだまだ作らないといけない」
前田は球団史上4人目の2000安打達成者で、1895試合での達成は史上14番目のスピードだった。
写真=佐藤真一