今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 球史に残るモテ男2人を輩出

前列左が就任したばかりの巨人・長嶋茂雄監督。前列右が定岡で、その後ろが西本だ
1974年11月19日 第10回ドラフト会議(日生会館) [1位選手(×は入団せず)]
近鉄
福井保夫(松下電器)
阪急
山口高志(松下電器)
中日 土屋正勝(銚子商高)
巨人
定岡正二(鹿児島実高)
大洋
根本隆 (日本石油)
ロッテ 菊村徳用(育英高)
阪神 古賀正明(丸善石油)×
ヤクルト 永川英植(横浜高)
南海
長谷川勉(日産自動車)
日本ハム 菅野光夫(三菱自動車川崎)
太平洋 田村忠義(日本鋼管福山)×
広島 堂園喜義(鹿児島商高)
この年は「1球団の指名選手は6人以内」の新規則で行われた。注目は2年前にプロ入りを拒否し、関大から松下電器に入社していた山口高志。このときはプロ入り濃厚と言われたのだが、クジ順1位の近鉄は、なぜか山口の控え投手、同じ松下の福井保夫を指名し、「名前を間違えたんじゃないか」と失笑すら漏れたという。続く阪急が「いただき!」とばかり山口を指名し、山口はその史上最速と言われたストレートを武器に、同年の優勝、さらに阪急初の日本一の原動力となった。
次なる注目は甲子園を沸かせ、「高校四天王」と呼ばれた土屋正勝、定岡正二、永川永植、土浦日大高の
工藤一彦だ。甘いマスクで異常人気を誇った定岡は巨人が指名。しばらく時間はかかったが、先発ローテにも入り、「人気と実力」を両立させた。4人は、工藤が阪神2位だったほかは、すべて1位指名だ。
ほかにも渋い選手が多く近鉄が2位に変則左腕・
村田辰美(三菱重工川崎)、4位が
吹石徳一(日本新薬)、ヤクルト2位には巧打者・
角富士夫(福岡第一高)の名前もある。
野手の出世頭は、南海の2位で、のちに2000安打を達成した新井鐘律(のち宏昌。法大)と広島の3位で、盗塁王を3回獲得した俊足のスイッチヒッター、
高橋慶彦。一軍定着後だが、高橋は定岡同様、甘いマスクで若い女性から圧倒的な人気を誇った。球史に残るモテ男2人を輩出した、とも言えるだろう。
投手の出世頭は、ドラフト外で巨人に入団した反骨の男・
西本聖(松山商)だ。最初は定岡、その後は79年入団の
江川卓をライバル視しながらはい上がった男だ。通算165勝、定岡は51勝、江川は135勝だった。
<次回に続く>
写真=BBM