今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 大きくどよめいた会場

銚子商高時代、自室での篠塚。初々しい
1975年11月18日 第11回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス) [1位選手(×は入団せず)]
ロッテ 田中由郎(三菱重工三原)
阪神 足立義男(大分鉄道管理局)×
大洋
田村政雄(中大)
日本ハム 福島秀喜(丹羽鉦電機)
近鉄 中野英明(東海大二高)
ヤクルト 杉村繁 (高知高)
巨人 篠塚利夫(銚子商高)
阪急
住友一哉(鳴門高)
中日 田尾安志(同大)
広島 北別府学(都城農高)
南海
森口益光(近大)
太平洋
古賀正明(丸善石油)
ドラフト会場が東京日比谷の日生会館から九段のグランドパレスに変わった。小粒が多いと評判だったドラフトだが、結果的には、のちの好選手を多数輩出している豊作年となった。
会場が大きくどよめいたのは、巨人の1位で、銚子商高の篠塚利夫の名前が読み上げられたときだ。のち首位打者2度を獲得する右投げ左打ちの名二塁手で、天才的なバッティングは高校時代から高く評価されていたが、線の細さに加え、肋膜炎でのブランクがあり、「プロは難しい」の評価があったからだ。球団フロントの反対を押し切っての
長嶋茂雄監督のチャレンジだったと言われる。
篠塚は、この恩を忘れず、80年の長嶋監督退任(事実上の解任)の際には、憤りから引退を決意。長嶋監督に直接説得され、現役続行となった。同年の1位には、ほかにも中日の“二枚目ヒットメーカー”田尾安志、広島の“200勝投手”北別府学がいる。
2位以下にも阪急2位にトリプル3を達成した
簑田浩二(三菱重工三原)、広島の“日本シリーズ男”
山根和夫(日本鋼管福山)、ロッテ3位には“強肩遊撃手”
水上善雄(桐蔭学園高)、巨人3位に“絶好調男”
中畑清、広島3位に水上のチームメートでもある巧打者の
長内孝(桐蔭学園高)、広島4位にはパームボールの
小林誠二(広島工高)、巨人5位にのちロッテで監督にもなった“巧打の一塁手”
山本功児らがいる。
なお、東都での春秋連覇の立役者となり、「駒大トリオ」と言われた1人、1位確実と言われた中畑は、高校生より下の指名に怒ったが(2位の岡田忠雄は中京高)、逆に入団の条件としてドラフト指名されなかったトリオの残り2人、
平田薫と
二宮至をドラフト外で巨人へ入団させ、男気を見せている。
<次回に続く>
写真=BBM