
喜びを爆発させながらホームにかえってきた中村。佐々木恭介監督も「これで流れが変わる」とはしゃいだが……
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月16日だ。
1998年のパ・リーグは世紀の大混戦と言われた。最終的には
西武が抜け出すのだが、9月後半になっても西武、
日本ハム、ダイエー、近鉄が1ゲーム差にひしめき合っていた。
この中で後半急失速し、
オリックスにも抜かれ、5位に落ちてしまったのが、近鉄。4強にいなかったオリックスが優勝争いには絡まなかったものの、後半戦勝率トップで3位にまで上がったのだから、この年の混戦のすさまじさが分かるだろう。
9月16日は、そんな近鉄が首位奪還に向かい、浮上のきっかけをつかんだかと思われた試合だ。ダイエーに3連敗の後、本拠地・大阪ドームの
ロッテ3連戦でも初戦敗退。ただ、あまりに壮絶な星のつぶし合いをやっており、それでも首位とは2ゲーム差だった。
試合は近鉄が
マットソン、ロッテが
園川一美の先発で始まり、9回表を終えた時点で3対2とロッテがリードしていた。
ここでサヨナラ3ランを放ったのが、若き三番打者・
中村紀洋だ。
この回、4人目の打者となる。それまで4打席凡退していた中村だが、負けたら優勝争いから脱落は分かっていた。「ランナーが出ないと回ってこないので、何とか俺まで来い。俺が決めたる、と思っていた」という。
相手投手は三番手の左腕・
河本育之。中村は「後悔はしたくない。中途半端なスイングはやめよう」と思い、持ち前のフルスイング。これが自身の25号、サヨナラ3ランとなった。中村にとって通算100号本塁打でもあった。
近鉄はその後も23日までは4勝2敗1分で、逆転優勝の可能性も十分にあったが、25日からの5連敗で前述のように5位に沈み、閉幕。ただし、首位とのゲーム差は5だった。
写真=BBM