
代表し、あいさつに立つ杉浦監督。翌年からはダイエーの監督として続投
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月15日だ。
1988年10月15日、パを代表する名門・南海ホークスが大阪に別れを告げた。
試合が終わり、太陽はすでにビルの向こうに沈んでいた。暮色に包まれた大阪球場のマウンドに立つは、
杉浦忠。南海ホークスに、幾多の栄光をもたらした伝説のアンダーハンド、このマウンドにもっともふさわしい男だった。ただ、この日は、選手としてではない。最後の監督として、大阪のファンに別れを告げるためだった。
「本当に長い間、そして最後までご声援ありがとうございます。長嶋くんの言葉ではありませんが、ホークスは不滅です。行ってまいります」
行ってまいります。その言葉に込めた意味は深い。
巨人・
長嶋茂雄の引退あいさつからも言葉を借りた。杉浦にとって長嶋は、立大時代の盟友でもあった。
すでに翌年から福岡ダイエーホークスとなることが決まっていた南海ホークス。この日は、最後の大阪球場の試合日だった。相手は近鉄。6対4と快勝し、有終の美を飾った。
かつて黄金時代を築いた名将・
鶴岡一人もグラウンドに出て、マイクの前に立った。
「昭和14年に南海に入りまして、戦後はこの大阪で長くお世話になりました。チームは阪急、近鉄戦で来ますので、応援してやってください。よろしくお願いします」
南海ファンには懐かしいシワガレ声で言って、スタンドに向かって頭を下げた。
続いて九州に向け旅立つ首脳陣と選手の紹介だ。低迷期の球団を背負ってきた
門田博光が何度も指先で目頭を押さえた。40歳で迎えたこの年、本塁打王、打点王に輝き、「不惑の大砲」と話題になった。球団とともに九州には行くことはなく、「福岡は遠い」と家族のため、
オリックス移籍を選んでいる。
哀愁を込めたトランペットの「蛍の光」が球場に流れ、スコアボードの球団旗が静かに降りていく。
グラウンドを照らす太陽の 意気と力をこの胸に 野球に生きて夢多き 南海ホークスさあ行こう
もう二度と聞くことにない球団歌がグラウンドを1周する選手たちを包んだ。名門・南海の栄光の歴史を彩った多くのレジェンドたちの顔がスタンドにあり、万感の思いで別れを告げた。
この日の入場者数は3万2000人。これで今シーズンの入場者総数は91万8000人。皮肉なことに球団新記録でもあった。
写真=BBM