プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月20日だ。
T.ウッズの3ラン

無敗でセ初代CS王者となった中日の落合監督
「苦しい試合でした。ペナントで負け、われわれに残されたチャンスはここしかなかった。それを選手たちが理解してやってくれたんだと思います。日本シリーズの切符をもらったわけですから、セ・リーグの代表として
日本ハムと戦いたい」
勝利監督インタビューでの中日・
落合博満監督の目には光るものがあった。
終わってみれば、一度もブレーキをかけることなく、リーグ2位の中日は日本シリーズへの急坂を駆け上がった。
2007年、セ・リーグ初のクライマックスシリーズで、第1ステージ(ナゴヤドーム。2戦先勝)では、シーズン3位の
阪神に連勝、さらに10月20日、第2ステージ第3戦(東京ドーム。3戦先勝)では、優勝の
巨人に3タテを食らわせ、中日が球団史上初となる2年連続日本シリーズ進出を決めた。
この日は中日の強さばかりが目立った。連敗であとがなくなった巨人の先発は
高橋尚成、対して中日は
中田賢一がマウンドに立つ。両投手とも三者凡退と順調な立ち上がり。序盤から荒れ模様だった第2ステージ1、2戦だが、3戦目にして初めて静かな立ち上がりとなった。
しかし、今シーズン完封試合が一度もなかった両軍の戦いは、2回、巨人・
二岡智宏のソロで静寂が破られる。対して中日も4回表一死後、二番・
井端弘和が死球で出塁すると、リズムを崩した高橋尚に竜のクリーンアップが襲い掛かる。
三番・
森野将彦が中前打でつなぎ、四番の
T.ウッズが「ミスショットだった」と言いながらも右翼スタンドに飛び込む逆転3ランを放つ。これで3対1とリード。試合は一気に中日ペースとなった。
岩瀬が4試合連続S

8回途中まで2失点で勝利投手となった中田
その裏、巨人も意地を見せ、
谷佳知、
小笠原道大の連打で1点を奪い、中田は崩れかけたかに見えた。
さらにこの回、中田の胸元への内角球に巨人の
イ・スンヨプが怒り、その姿に一塁手のT.ウッズが応戦態勢をとって乱闘寸前となるシーンもあったが、崩れかけた中田は、これで逆に気合を入れ直した。以後は無失点で8回途中までマウンドを守り、巨人打線から11三振を奪っている。
7回表にはCSで打撃好調を維持していた中日の捕手・
谷繁元信の一発が出て2点差。8回途中からは、中田の後を受けた第2ステージ3連投の
岩瀬仁紀がピシャリと抑え、中日が逆転勝利でCS突破を決めた。岩瀬は第1ステージ2戦目から4試合連続セーブとなる。落合監督は「できればああいう使い方はしたくなかったが、勝ちを拾うためには仕方がない」と話し、岩瀬は「ここまで来たらイニングとか疲れは関係ない。覚悟はできていました」ときっぱり。まさに鉄腕だ。
新制度の初年度とあって、巨人・
原辰徳監督はセで初めて優勝しながら日本シリーズに進めなかった監督となり、「短期決戦でジャイアンツらしい力が出せなかった。ただ、この1年間、精いっぱい戦って、粘ってペナントを制した事実は胸を張っていい」と無念の表情を浮かべながら語っている。
初のCSとあって「勝った後、胴上げをするのか?」もひそかな話題となっていたが、中日は巨人に配慮し、胴上げや祝勝会を自粛した。
写真=BBM