本日のドラフト会議で複数球団の指名が予想される清宮幸太郎(早実)。過去、高校生で最多の指名を受けたのは1995年、PL学園高の福留孝介だった。7球団から入札された超高校級スラッガーのドラフト当日を振り返ってみよう。 会場に響き渡った「ヨッシャー」の声

ドラフト当日に佐々木監督(右)から指名挨拶を受けた福留
[福留孝介を指名した球団]
・近鉄◎
・
巨人(
原俊介)
・
中日(原俊介→
荒木雅博)
・
ロッテ(
沢井良輔)
・
ヤクルト(沢井良輔→
三木肇)
・
日本ハム(
中村豊)
・
オリックス(
今村文昭)
()内はその後の1位指名※
その声は、やけにハッキリと聞こえた。11月に竣工したばかりのPL学園体育館。11月22日、10時50分。報道陣が用意したドラフト会議を映し出すTVモニターから聞こえてきた、近鉄・
佐々木恭介監督の叫び声だ。
「ヨッシャー」
高校生としては6球団が競合した1985年の
清原和博(PL学園高)を上回る7球団の入札。近鉄、中日、日本ハム、巨人、ロッテ、オリックス、ヤクルトの順でクジを引いたが、当たりを手にしたのが箱の中の一番上にある紙片を取り上げた佐々木監督だった。
1995年ドラフト、いや、言うならば“福留ドラフト”。その主役は、早くから「希望の2球団以外は日本生命へ」と表明してきた。希望球団とは巨人、中日。が、近鉄がその交渉権を得たから、指名球団決定後に会見場に現れる予定になっていた注目の男を待つ報道陣はどよめいた。
「エライこっちゃ」
指名から約5分――ささやき合う報道陣の待つ体育館に、福留が現れた。無表情、真っすぐ前を向いて。が、まだ18歳の少年。心の中は揺れに揺れていた。
会見の途中、「落ち着きましたか」の質問に「僕は最初から落ち着いていますよ」と答えた福留。人は、自分で「落ち着いている」というときほど、実は動揺しているもの。矢継ぎ早に浴びせられる質問への答えは、心の乱れを物語っていた。
「高い評価はありがたいと思っています。でも、一度決めた自分の意志は貫きたい」
見守る人々は「希望球団以外だから日本生命に進むということだな……たぶん」と思った。
が、さらに続く会見。「上でやりたいという気持ちが強い」「自分の気持ちと親の気持ちと、じっくり話し合って決めたいと思う」という言葉が妙に耳に残る。
「ということは、今はまだ、進路について白紙だと?」
「ハイ」
で、「おっ、プロ入りもあるぞ」と思うと、しばらく経って「でも、自分の意志は変わらない。社会人の3年間はムダにならないと思う」とくるから「……?」だ。
務めて冷静に、言葉を選びながら応対を続けているかのように見えた福留だが、頭の中は、真っ白だったに違いない。ドラフト前日も「巨人、中日以外から指名されることは考えていない」と言っていたほどだから“望まざる現実”の訪れに、エアポケットに落ちたような状態になったのだろう。
この日の午後6時前、ドラフト会場から急いで駆けつけた筑間球団社長、佐々木監督の指名挨拶を野球部の研志寮で受けた福留。そこには自分を取り戻し、落ち着いた表情で近鉄側の熱意に耳を傾ける姿があった。そして佐々木監督と握手を交わした福留は笑顔、笑顔で近鉄関係者を見送った。予想外? の和やかムードに周囲から「プロ入り?」の声も……。
が、福留は礼節を知り、確固たる己を持つ男だ。自分の気持ちとは別に、誠意を尽くす人には失礼のないように振る舞うことができる。11月25日の第1回交渉後、福留はふたたび繰り返した。
「僕の気持ちは変わらない」
確かに近鉄は、この福留の芯の強さにほれ込んだのだが――。
12月8日、福留は日本生命入りを表明した。
写真=BBM