今年で68回目を数える日本シリーズだが、印象的な激闘は多々ある。ここでは過去の名勝負、名シーンを取り上げていこう。 「もうやめとけ!」。味方も凍った問題発言

第7戦、加藤哲から本塁打を放った駒田
「なんてことなかったですね。とりあえず、フォアボールだけ出さなかったら、まあ、打たれそうな気がしなかったんで。大したことなかったです。シーズンのほうがよっぽどしんどかったですから。相手も強いし。もう、明日で決めたいですね」
1989年、
巨人対近鉄の日本シリーズ第3戦、東京ドームの先発マウンドに立った近鉄・
加藤哲郎は6回1/3を投げ被安打3、無失点の好投を見せ、チームに3連勝をもたらした。球団史上初の日本一へあと1勝と迫った試合後のヒーローインタビューで、7年目右腕はふてぶてしく冒頭の言葉を言い放った。
その年、ペナントレースで24試合に登板し、
西武、
オリックスと三つ巴の戦いを演じた終盤戦は先発、リリーフと大車輪の活躍を見せた加藤。その代償として、シリーズを前にして右肩はボロボロの状態だった。痛みをこらえながらの投球を簡単に打ち損じる巨人打線。一体どうなっているんだ、との思いから生じたのが相手を見下すような言葉だった。
そのとき、近鉄ナインは宿舎へ帰るバスに乗り込み、備え付けのテレビでヒーローインタビューを見ていた。当時のエース・
阿波野秀幸は次のように振り返る。
「僕らは『もうやめとけ!』と思っていました。寝た子を起こすなという言葉があるように、(巨人の)感情を逆なでしちゃいけない、と。とにかく早く引き揚げて来い、という気持ちで見ていました」
チームメートでさえ不安を覚えるほど挑発的に映ったインタビュー。その発言は翌日の新聞で「巨人は
ロッテ(その年のパ・リーグ最下位)より弱い」と誇張された形で報じられた。
逆転劇の決めゼリフは「バカヤロー!」

第3戦で勝利した後の加藤哲(右)と仰木監督
巨人ナインをよみがえらせたと言われる加藤の発言であるが、実際、巨人のほとんどの選手は加藤の発言を直接は聞いていなかったという。
駒田徳広は次のように語る。
「川相(昌弘)とか、熱くなるタイプの選手は怒っていましたけど、僕はどちらかというと、『3回やって3回ボロ負けだよ。何を言われてもしょうがないじゃん』っていう気持ちでした」
周囲が騒ぎたてるほど、巨人の選手たちが加藤の発言に目くじらを立てることはなかったようだ。ただ、それを機にシリーズの流れは確実に変わった。第4戦から反撃に転じた巨人は3連勝で逆王手をかける。
「うまい具合に周りがそれ(加藤の発言)をあおってくれたというのはあったと思います。われわれがそれ(勢い)を作ったのではなく、われわれはそれに乗っかっただけなのかもしれないですね」と駒田。
3勝3敗で迎えた藤井寺球場での第7戦。「もう投げることはないだろう」と思っていた加藤が、再び先発のマウンドに上がる。第3戦での発言が大きな波紋を呼んだこともあり、異様な緊張感に包まれる中、試合はスタート。
0対0の2回表。一死から打席に入った駒田は甘く入った初球のストレートを完璧にとらえ、ライトスタンド上段へと運ぶ。この一発で勢いづいた巨人は8対5で打ち勝ち日本一に。加藤は結局、3回1/3を投げ被安打4、3失点で敗戦投手となった。
一方で、シリーズ打率.522をマークした駒田はMVPを受賞。最終戦で本塁打を打った際にはダイヤモンドを周りながらマウンドの加藤に「バカヤロー!」と叫んだというが、それは怒りからの行為ではなかった。
「あれは勢いに任せたところがありましたね。(加藤に)申し訳ないなと思いつつも、プロ野球はこれぐらい面白くていいんだと思っている自分もいて」
それが、痛快な逆転劇を演じた主役の、偽らざる本音である。
写真=BBM