
82年、チームは日本一も石毛は打率.259と低迷
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月15日だ。
最初に断っておく。今年のシーズンインからスタートしたこの連載だが、もはや日本シリーズもドラフトも終わりとなると、毎日、毎日、球界を揺るがせた、あの大事件の日! というわけにはいかない。できれば何年か継続してやっていきたい連載なので、時に小ネタとなってもご勘弁いただきたい。
今回がまさにそれで、1982年11月15日、
西武・
石毛宏典のユニークなオフトレがネタとなる。
広岡達朗新監督の下、所沢移転後、初優勝、初日本一に輝いた西武ライオンズだが、正遊撃手であり、81年の新人王・石毛の顔は今一つ冴えなかった。
打率.259、15本塁打、22盗塁。守備の負担が大きいショートとしては(特に当時なら)悪くない成績ではあるが、前年が打率.311、21本塁打、25盗塁だったことを考えれば、2年目のジンクスと言われても仕方がない。
その石毛と同じく入団2年目の
広橋公寿がこの日訪れたのは、東京新宿にある「藤平道場」だった。合気道の世界では伝説的人物、藤平光一氏の道場で、広岡監督も弟子の1人だった。
心技一体に関する説明の後、木刀を持っての実演。石毛が持った木刀を藤平氏が叩くと、最初は簡単に飛び、2度目は受け止めることができた。最初、石毛は「力いっぱい握って構えなさい」と言われ、2度目は「へその下に力を入れ、肩と握る力は抜きなさい」と言われて構えたもの。これには石毛も驚き、目を白黒させていた。
「やっぱりすごいですね。これからはゴルフ、麻雀でもいいから日常生活で気を出すように言われました。あとは邪念を捨てろと……」
翌83年は打率.303と上昇。果たしてこれは、合気道効果だったのだろうか。
写真=BBM