近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。 「ロッテのサブロー」から「巨人の大村」へ

2011年6月末、シーズン途中でのトレード劇に、一旦は巨人でプレーする決意をしたサブローだったが……
[2011年]
ロッテ・サブロー⇔巨人・
工藤隆人+金銭
「トレードの話を聞いたときはびっくりしましたが、子どものころからあこがれだった読売巨人軍に入団できて本当に感謝しています」
新天地での移籍会見でそう語った「大村三郎」の表情は、言葉とは裏腹にどこかこわばっていた。
その前日に発表されたロッテのサブローと巨人の工藤隆人(プラス金銭)の交換トレードは、大きな波紋を呼んでいた。プロ17年目の生え抜きとしてロッテの選手会長を務め、前年も「つなぎの四番」で日本一に貢献していたサブローは、ロッテというチームを象徴する選手であり、ファンの間でも完全に「サブロー=ロッテ」という図式が出来上がっていたからだ。
この年は右手薬指の打撲によって5月初旬に登録を抹消され、そのままファーム暮らしが続いていたとはいえ、その選手がシーズン半ばの6月末に、あっさり放出されてしまったのである。「若返りを図るとともに、俊足の外野手を求めていたロッテと、打撃低迷に苦しむ巨人の狙いが一致した」とは言うものの、交換相手の工藤はサブローとは実績に違いがあり過ぎる上に、年齢も30歳とそこまで若いわけではない。金銭がプラスされるといっても、どうにも違和感をぬぐいきれなかった。
この日を境に「ロッテのサブロー」は「巨人の大村」として生まれ変わった。巨人は原則として愛称やファーストネームのみを登録名とすることを認めておらず、本名で登録されることになったのだ。
翌7月1日の
中日戦(東京ドーム)でさっそくベンチ入りした“大村”は、同点の8回に代打で登場すると、いきなり左中間に本塁打を放った。新天地での初打席で飛び出した名刺代わりの一発。それは慣れ親しんだ「サブロー」という名前、そして古巣のロッテに対する決別の一打になった……はずだった。
変わらなかった古巣への愛
だが、ポジション争いの熾烈な巨人で定位置を獲ることは容易なことではない。ベンチを温める日々の中で、あらためて気付いたのが「ロッテ愛」だった。
「できればもう一度、ロッテでやりたい」
その気持ちは日を追うごとに、どんどん強くなっていった。おりしも前年は日本一にまでなった古巣は最下位に沈み、重光昭夫オーナー代行からは自身の放出について「判断を誤った」との発言も飛び出していた。
大村がFA権を行使して愛着あるロッテへの復帰を決め、再び「サブロー」の名前を取り戻したのはそのオフのことだ。巨人への電撃移籍から、わずか176日しか経っていなかった。
野球界にはないはずの「レンタル移籍」のような結末となったドタバタ劇の背景には、サブロー放出を主導した球団代表と運営本部長がそろって退団するなど、球団フロントにおけるパワーバランスの変化があったとも言われている。それでもサブローの中に古巣への変わらぬ愛情がなかったら、こんなにも早く復帰が実現することはなかっただろう。
「(再)移籍の決め手はロッテ愛」
復帰会見でサブローが口にしたセリフが、すべてを物語っていた。
写真=BBM