
小さな鉄腕としてチームを支え続けてきた武田久。近年のファイターズの背番号21と言えばこの男だった
注目を集めていた
日本ハムのゴールデンルーキー・
清宮幸太郎の背番号が「21」に決定した。一般的には投手のイメージが強く、それこそ日本ハムで野手が背負うのは東映時代の1953年から5年間着けた
大畑庄作以来となる。
そんな11月24日に行われた新入団発表の席で21番のユニフォーム姿で満面の笑みを見せる清宮の姿を見ながら、ある1人の選手のことがふと思い浮かんだ。
武田久。ファイターズの背番号21と言えば今シーズンまではこの男であった。シーズン終了後にチームから引退を打診されるも現役にこだわり、新天地を求めて退団。トライアウトは受けず、いまも精力的にトレーニングを続けながら、他球団からのオファーを待っている。
近年はケガに苦しんで満足な結果を残せていないが、北海道移転後の躍進を支えてきた功労者の1人だ。“小さな鉄腕”として3度のセーブ王、2006年の44年ぶりの日本一の際にはセットアッパーとして最優秀中継ぎのタイトルも獲得した。
その性格は一本気で若手投手の良きお手本でもあった。昨年のドラフト1位ルーキーの
堀瑞輝もファームで大きな影響を受けたという。制球力に悩んでいた堀に対して武田久が送ったアドバイスは「人間(ストライクゾーンの)9分割に投げるなんて無理な話。若いんだからまずは内と外にしっかり投げればいい。いまはそれだけを考えろ」。
高校時代から投げっぷりの良さが売りだった堀。そんなルーキー左腕が壁にぶつかる中で「いまはそこよりも、自分の良さである思い切って腕を振ることのほうが大事。それがきっと未来につながる」と伝えたかったのだろう。その表現の仕方も、いかにも武田久らしいなとも思った。
不器用で人間くさく、それでいて誰よりも野球に対してストイックな男。それが武田久だった。このコラムを書いている時点でまだ朗報の情報は入っていないが、あの沈み込むような低いピッチングフォームでマウンドに立つ「日本ハムの元背番号21」の雄姿をもう一度見てみたいと思っているのは、きっと私だけではないはずだ。
その後、11月26日にアマチュア時代に在籍した日本通運で投手兼コーチとしてプレーすることが明らかになった。同日に札幌ドームで開催された日本ハムのファンフェスティバルで退団セレモニーも行われ、小さな鉄腕が新たな決意でマウンドに立つ。頑張れ、武田久!
文=松井進作 写真=高原由佳