
メッツのジャンパーを着た小宮山
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月1日だ。
ロッテのエースとして1990年代のチームを支えた
小宮山悟。精密機械とも言われた制球力を武器に頭脳的なピッチングで一世を風びした右腕だ。
しかし99年オフ、FA権を行使するつもりで挑んだ契約更改で、まさかの自由契約。失意のまま横浜へ移籍となった。このとき恩師バレンタインが監督をしていたメッツから声がかかったが、条件が合わず、断念した経緯もある。
もともとメジャー志向が強かった小宮山にとっては、横浜で実績を積んでのメジャー挑戦も考えての決断だったようだ。
12勝9敗とまずまずの好成績を挙げた移籍2年目の01年オフ、FA宣言。同年12月1日は、その小宮山が都内のホテルでニューヨーク・メッツとの仮契約を結んだ日だ。もちろん、まだバレンタインが監督。小宮山もメジャー球団との交渉を依頼した代理人に「バレンタインがマネージャーであるチーム」を第一条件にしていたという。
メッツのミヤマGM補佐、大慈弥極東本部長とともに会見に挑んだ小宮山は、珍しく緊張の面持ちで、「夢に描いてきたメジャーのマウンドが現実になることを非常に喜んでいます。向こうでやることがどれほど厳しいかは分かっているつもりですが、メッツのために頑張りたい」と抱負を語った。
表情が緩んだのは、ミヤマGM補佐からメッツのジャンパーを着せてもらい、帽子を受け取った撮影タイムだ。
「野球小僧みたいだな」と笑顔でつぶやいた小宮山。36歳と年齢は重ねていたが、メッツでも序盤は好投を見せ、地元メディアも和製マダックスと称えた。最終的に25試合に登板で1勝もできず、1年限りで退団。のちに「(メジャー移籍を)ご褒美と受け取ってしまい、楽しまなきゃが強すぎた。ハングリーさが足りなかった」と反省していた。
写真=BBM