2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 連載『私の意見』では近鉄社長・佐伯勇が千葉茂監督招へいの経緯を語る
今回は『1958年12月17日号』。創刊第36号で定価30円。中カラー見開きは『日本野球の誇り』と題し、西鉄・
中西太、大毎・
山内和弘、
阪神・
田宮謙次郎。球界を代表する強打者たちだ。
巻頭グラビアはオフネタ。巨人・
川上哲治の禅寺からの帰京、映画『巨人軍物語』撮影のため、正力松太郎読売新聞社主邸を訪れた巨人・
広岡達朗、
藤尾茂、
長嶋茂雄、
藤田元司。現役選手が本人役で出演する映画で、いまでも時々(ほんと時々だが)CSで放送されている。
本文巻頭は『なぜ千葉は巨人を去ったのか?~水原・川上との間にあったものとは』。現役時代は川上と並び称されたスター。引退後は二軍監督をしていたが、日本シリーズ第1戦の後、「巨人軍でやれることは終わったので、近鉄へ」と辞意を伝えたという。低迷が続く近鉄の監督は、決して楽な道ではない。正力にかわいがられていた川上が優遇され、水原のあとの監督が既定路線となる中で、自分の居場所がなくなったように思ったのかもしれない。中カラーでは、その川上のヘッドコーチ就任会見も掲載されている。
その後、連載『私の意見』では近鉄社長・佐伯勇が登場。千葉招へいの経緯が語られている。その中で気になる一文があった。
私はこの際、近鉄パールスというニック・ネームも、猛牛と言われた千葉君のカラーを生かして、もっといさましい名前にしてみようなどと考えている。
若い読者の方は近鉄が「パールス」だったことを知らないかもしれない。近鉄沿線の伊勢志摩が真珠の産地だったことからの命名である。
ほか目立ったページとして、センターグラビアでフラフープをする
豊田泰光の姿があった。フラフープはこの年、大流行したが、腸ねん転の恐れがあるという話が出て一気にすたれた。ただ、腸ねん転との関連については間違っていたようで、近年はダイエット用品として静かなブームを呼んでいるらしい。
また、後半グラビアは、当時秋にもあったオープン戦だった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM