
背番号「99」のユニフォームを手に笑顔を見せる中村。右は米田球団代表、左は三村編成部長
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月5日だ。
2008年オフ、
中日からFA宣言した
中村紀洋が
楽天への移籍を決めた。12月5日、仙台市内のホテルで開かれた入団会見の席で「またグラウンドへ立てる喜びに感動している。自分の力を出し切り、優勝に貢献したい」と中村。淡々とした口調は、新天地に懸ける決意の表れだった。
一度は「骨を埋める」と覚悟した中日からFA宣言をしての移籍。これまで応援してくれたファンをはじめ、関係者への後ろめたさもあったのだろう。「どう思われているか、不安だった」と心境を吐露。それでも意志を貫いたのは、「残り少ない野球人生を、悔いのないようにしたい」という思いがあったからだ。
中日では、2008年を含め過去7度ものゴールデン・グラブ賞の実績を誇る愛着のあるサードを追われようとしていた。翌09年からは、
森野将彦の三塁固定がチームの規定路線。また、球団から単年度契約を提示されたことも大きかった。
楽天から提示された2年総額3億円という条件はともかく、中村紀にとってうれしかったのは、「高いレベルにあるサードの守備力も評価している」(三村編成部長)というひと言だった。そして、決断への引き金となったのは、
野村克也監督の「クライマックスシリーズ(CS)に出場するためには、お前の力が必要。オレの有終の美を飾らせてくれ」という心をくすぐる殺し文句。「CSに出場して、優勝して野村監督を胴上げする」のが、まずは大きな目標と語った。
楽天移籍を相談した中日・
落合博満監督は、次のようなエールを贈っている。
「さび付いた体が元に戻り、ほかの球団から誘いがあったのなら、喜んで行けばいい」
06年オフ、
オリックスとの交渉でもめ、戦力外に。移籍騒動を見かね、育成契約ながらユニフォームを着るために尽力してくれた恩人の激励は心に染みた。会見では「自分の成績よりも、勝利に対する執念を持ちたい。その大切さをドラゴンズで学んだ」と漏らしている。
強い要望で叶った背番号は、中日時代と同じ「99」。中村紀は「昔は若い小さい数字を追いかけていた。でも、今は似合わない」と笑う。それでも、プロフェショナルとしてのプライドは捨ててはいない。
「野村監督は、僕のことを『枯れたヒマワリ』と言ってくれた。それを、もう一度咲かせたい」
かつての古巣・近鉄と縁の深いチームへの“復帰”。さまざまな思いを胸に18年目のシーズンを迎えようとしていた。
写真=BBM