
西武時代の永射。とにかく度胸のいいピッチャーだった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月9日だ。
地味ながら盛大で、なにより“あったかいパーティー”だった。
1987年、プロ15年目のこの年、西武から大洋に移籍し、あと7に迫っていた通算500試合登板を5月2日の
阪神戦(甲子園)で達成した(史上59人目)左腕・
永射保。その大記録を祝う会が12月9日、池袋サンシャインシティプリンスホテルで行われた。
永射は1972年、
広島に入団も伸び悩み、オーバースローからサイドスローに。74年、太平洋クラブ(のちクラウン─西武)に移籍し開花する。左打者の背中に当たりそうな角度からストライクゾーンに食い込むカーブを武器に77年には先発、中継ぎでフル回転し、規定投球回到達。79年からは主に中継ぎで3年連続、84年を加え、4度リーグ最多登板を果たしている。
パーティーの発起人は、悪友たちだ。
大田卓司(解説者。元西武ほか。当時以下同)、
基満男(
日本ハムコーチ)、
東尾修(西武)、
加藤博一(大洋)、
若菜嘉晴(大洋)らが企画。
豊田泰光(解説者。元西鉄ほか)、
田淵幸一(解説者。元西武ほか)ら親交の深い先輩たちも訪れ、永射を祝福した。
一番沸いたのが、愛娘とともに元
ロッテの
レロン・リーが登壇した際だ。永射が「リーさんのおかげで選手寿命が延びた」と言って会場が爆笑となったが、左打者・リーにとって永射はまさに天敵。まったくタイミングが取れず、右打席に入ったこともあったという。
地味な仕事人のまさに晴れ舞台だった。
写真=BBM