
11月16日の韓国戦でサヨナラ勝ちにつながる押し出し四球を選んだ京田
2017年も残り3週間を切った。毎年のように「あっという間の1年だ」と思うのだが、とりわけ今年、新社会人となった方々にとっては、そのスピードはより速く感じられたのではないだろうか。
プロ野球の世界でも多くのルーキーがスタートを切った。中でもドラフト2位で
中日に入団した
京田陽太にとっては、濃密な1年間だったに違いない。
大卒1年目ながら開幕スタメンに名を連ね、チーム最多の141試合に出場。ペナントレース終了後も11月には侍ジャパンメンバーに選出され、アジアプロ野球チャンピオンシップに出場。さらにチーム19年ぶりの新人王に輝いた。
右も左も分からずに始まった1月の新人合同自主トレから、さまざまな経験を積んできた京田。その成長が目に見えて現われたワンシーンがあった。
11月16日、東京ドームで行われたアジアプロ野球チャンピオンシップの韓国戦。侍ジャパンは8回終了まで3対4の劣勢も、9回裏に同点に追いつき、タイブレークとなった延長10回表に3点を奪われたものの、その裏に
ソフトバンク・
上林誠知の3ランと
ロッテ・
田村龍弘のサヨナラタイムリーツーベースで激闘を制した。その試合、土壇場の9回一死満塁で、同点に追いつく押し出し四球を選んだのが京田だった。
ペナントレース中は積極的な打撃で球団新人最多記録となる149安打を放った京田だが、一方で選球には課題を残し、18四球と物足りない数字が残った。しかしこの場面では3ボール1ストライクからの5球目を見送り、値千金の1点を奪った。十分な働きに納得しているかと思いきや、外角に外れるボールを見送った京田は、わずかに天を仰ぎながら、淡々と一塁へ歩いた。
「僕は、決めるつもりで打席に立っていたんです」
のちにその場面について話を聞いたとき、京田は残念そうに振り返った。
「アマチュア時代だと多分、『回ってくるな』と考えてしまったかもしれません。だけど自然と、あのときは『俺が決めてやろう』という気持ちに自然となりました。それは、この1年間をやり切った自信だと思います」
もしゲッツーとなっていれば、“戦犯”と非難を受けていたかもしれない場面。だが、日の丸を背負いながらも失われなかった強い精神力は、京田が野球選手として高いステージへと進んでいる証拠だろう。
「つなぐ」「後ろへ回す」。その意識はチームの勝利への大きな力となることは間違いない。だが、「俺が終わらせる」の気持ちが、魅力あるプレー、選手を生むこともある。
心身ともに充実する、京田の2年目を今から楽しみにしたい。
文=吉見淳司 写真=BBM