中嶋の強肩は「メジャー級」と称賛されていた
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月21日だ。
1997年シーズン後、FA宣言し、日本人野手メジャーを目指したのが、
オリックスの
中嶋聡捕手だった。プロ入団時から、その強肩が“メジャー級”と称賛され、チームに在籍した外国人選手の
ニール、
フレーザーらからも「向こうでやってみたくないか。できるぞ」と言われたことで、徐々に「本場で実際に確かめてみたい」という思いが強くなった。
11月には自ら渡米し、アラン・ニーロ代理人とともに数球団のテストを受け、予想どおり守備面は高い評価を受けたのだが、バッティング面の不安と、中嶋が“メジャー契約”にこだわったこともあって、なかなか色よい返事をもらうことができなかった。
12月21日は中嶋がメジャー入り断念を発表した日だ。20日、ニーロ氏がエンゼルスと最終交渉を行ったが、年俸25万ドル(当時で約3175万円)のマイナー契約しか提示されず、断念を決めた。この日、自宅前で取材に応じた中嶋は、「アメリカ行きはあきらめました。今後は手を挙げてくれている2球団(
西武、
日本ハム)と話し合います」とさばさばした表情で語った。
この知らせを聞き、残念そうな顔を見せたのが、オリックスの同僚・
田口壮だった。中嶋がメジャー行きを決めた際には
イチロー、中嶋、当時エンゼルスの
長谷川滋利とアメリカで自主トレをしようと計画していたのだ。「せっかくのプランもこれで暗礁に乗り上げましたね。まあ、来年以降、なんとか実現させますよ」と田口。中嶋はその後、西武入団。12月25日に入団会見を行った。
写真=BBM