背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 多彩な1リーグ時代
現在は投手ナンバーとなっている「15」だが、プロ野球の創設期には錚々たる野手たちもいた。
阪神の初代は長きにわたって着け続けた投手の
御園生崇男だが、
巨人の2代目は“塀際の魔術師”と呼ばれた名外野手の
平山菊二。東京セネタースには二塁守備の天才で「苅田の前に苅田なく、苅田の後に苅田なし」と言われた
苅田久徳がいた。
2リーグ制となってからも、
広島で和製大砲の
小鶴誠が「15」となる。南海では
大沢昌芳(啓二)。監督として“親分”の愛称で親しまれた印象が強いが、現役時代は頭脳派の外野手で、現在では当たり前のプレーだが、打者の打球傾向によって守備位置を変えた先駆者とも言われる。
【12球団主な歴代背番号「15」】
巨人 平山菊二、
城之内邦雄、
山倉和博、
河原純一、
澤村拓一☆
阪神 御園生崇男、
権藤正利、
湯舟敏郎、
藤田太陽(太陽)、
横山雄哉☆
中日 中根之、
伊藤国雄、
吉田猪佐喜、
西沢道夫★
オリックス 北井正雄、
水谷孝、
関口朋幸、
加藤大輔、
佐藤達也☆
ソフトバンク 栗生信夫、
富永嘉郎、大沢昌芳(啓二)、
村上雅則、藤井将雄
日本ハム 宮沢澄也、
工藤幹夫、
武田一浩、ウィルソン、
上沢直之☆(2018~)
ロッテ 祖父江東一郎、
岩崎忠義、
荘勝雄、
上野大樹、
関谷亮太☆
DeNA 稲川誠、
門田富昭、
盛田幸妃、
河原隆一、
井納翔一☆
西武 河村久文、
田中章、
松沼博久、
大沼幸二、
大石達也☆
広島 小鶴誠、
安仁屋宗八、
津田恒美、
片瀬清利(聖敏)、
黒田博樹★
ヤクルト 箱田弘志、
石岡康三、
岡林洋一、
村中恭兵、
大下佑馬☆(2018~)
楽天 福盛和男、
藤原紘通、ブラックリー、
小野郁、
美馬学☆(2018~)
(☆は現役、★は永久欠番)
広島、中日では永久欠番

広島・黒田博樹
最初の永久欠番は“初代ミスター・ドラゴンズ”西沢道夫。若手時代は主に投手で、たびたび背番号も変えていたが、金星時代の1948年から中日で引退する58年まで背負い続けた、西沢にとって最長の背番号だ。西沢は63年に指導者として復帰、監督にもなって、66年まで「15」を復活させている。
そして2016年、広島を25年ぶりの優勝に導いて引退した黒田博樹の「15」も永久欠番に。広島では選手が定着しないナンバーで、小鶴は引退までの6年間、阪神から復帰した安仁屋宗八が引退までの2年間、若手時代の津田恒美が3年間と、顔ぶれは豪華だが着けた期間が短く、黒田の13年が最長だ。
正式な永久欠番ではないが、もう1チーム、長く欠番状態なのがソフトバンクだ。大沢から日本人で初めてメジャー・リーガーとなった“マッシー”村上雅則が継承するなど個性派の系譜だが、この「15」を最後に着けたのが藤井将雄。強気のピッチングで“炎の中継ぎ投手”と呼ばれたセットアッパーだ。
低迷していたダイエーに入団した95年から「15」を背負い、99年には59試合に投げまくって、チームが九州へ移転して初のリーグ優勝、日本一に貢献。ブルペンの兄貴分として後輩からも慕われた。だが、優勝パレードの翌日に肺の異常が見つかり、肺ガンと診断される。
翌00年、一時はファームで6試合に登板するほどの回復を見せたが、リーグ連覇を見届けるように、10月13日に死去した。チームは黄金時代を迎え、ダイエーからソフトバンクになるなどの激動もあった。21世紀に入って間もなく18年目になるが、誰ひとりとして「15」を着けた選手はいない。
写真=BBM