背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 中日だけではない好投手の系譜
中日のエースナンバー「20」。
杉下茂がイメージを築き、
権藤博が鮮烈かつ苛烈なデビューで継承、その後も星野仙一、
小松辰雄ら先発にも救援にも投げまくった右腕の系譜だ。
似た系譜となっているのが
ロッテ。中日を引退した杉下が1年だけ大毎で現役に復帰して「20」を着けて以降は、
木樽正明らエース級の右腕が並ぶようになる。
他のチームにも、かつては右の好投手が多かった。印象も実績も抜群なのは20世紀最後の200勝投手となった
広島の
北別府学だろう。阪急、太平洋・クラウンと2チームで北別府と同じ19年間「20」を着け続けたのが
石井茂雄。低迷する南海には
山内新一がいた。“黒い霧”にのみ込まれた西鉄の
池永正明も「20」だ。故障のため活躍した期間は短かったものの、高速スライダーを駆使した
ヤクルトの
伊藤智仁も印象深い。
【12球団主な歴代背番号「20」】
巨人 成田友三郎、
大友工(工司)、
定岡正二、
入来祐作、
マシソン☆
阪神 西村一孔、
辻恭彦、伊藤弘利(宏光、文隆)、
郭李建夫、
ロサリオ☆(2018~)
中日 杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄、
宣銅烈 オリックス 中田武夫、石井茂雄、
白石静生、
寺原隼人、
近藤大亮☆
ソフトバンク 中谷信夫、
渡辺泰輔、山内新一、
藤本修二、寺原隼人☆
日本ハム 北川桂太郎、
宮崎昭二、
矢野諭、
糸数敬作、
上原健太☆
ロッテ 杉下茂、木樽正明、
仁科時成、
薮田安彦、
東條大樹☆
DeNA 椙本勝、
島田源太郎、
相川英明、
木塚敦志、
須田幸太☆
西武 池永正明、石井茂雄、
豊田清、
野上亮磨、
高木勇人(2018~)
広島
渡辺信義、
河村英文(久文)、
西本明和、北別府学、
永川勝浩☆
ヤクルト
深沢督、
中本茂樹、伊藤智仁、
鎌田祐哉、
山本哲哉☆
楽天 谷中真二、
長谷部康平、
ユーキリス、
安楽智大☆
(☆は現役、★は永久欠番)
斜陽の右腕エース

巨人・ローズ
ノーヒットノーランを達成した右腕も多い。52年に巨人の大友工(工司)が達成したのを皮切りに、55年には杉下が1四球のみの準完全試合、58年には西鉄の
西村貞朗が完全試合、60年には大洋の島田源太郎が最年少20歳351日で完全試合を達成している。
また、ロッテの仁科時成は1安打完封が3度、うち2度は9回二死から初安打を浴びたもの。巨人の定岡正二は先頭打者の1安打のみで、その後は27人で抑える快投を演じた。
その巨人は「20」の系譜では異色で、定岡から
サンチェ、
ガリクソンといった助っ人右腕がリレー。現在はセットアッパーのマシソンが受け継いでいる。この「20」を2年だけ着けたのが近鉄“いてまえ打線”での活躍も印象に残る長距離砲のローズだ。来日1年目の近鉄から巨人を退団するまでの10年間「20」を背負い続け、両リーグで本塁打王に輝いた。系譜をさかのぼると、草創期にチーム初の満塁本塁打を放ったリベラがいる。プロ野球史上唯一のフィリピン人選手だ。
ただ、やはり野手は少数派で、投手でも阪急の白石静生ら左腕は少ない。圧倒的多数の右腕では、20世紀の最終盤に中日で宣銅烈が「20」を受け継いでからは、ロッテの薮田安彦や西武、巨人の2チームで「20」を着けた豊田清ら救援投手が多くなる。右の好投手には違いないが、中日に限らず、“右腕エース”というインパクトは薄れた印象だ。21世紀に入り、20世紀の「20」を超える右腕は現れるだろうか。
写真=BBM