2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『狙われた長嶋、抗議する豊田~続発するビーン・ボールの恐怖』
今回は『1959年8月5日号』。前回定価が40円に上がったと書いたが、失礼、やはり定価は30円だった。特別定価の表示はなかったが、よく見ると本文は通常号より12ページ多かった。逆に今回はページ数を戻し、センターカラーページは消えた。大先輩たちも試行錯誤しているようだ。
グラビア巻頭は21号本塁打を打った大洋の
桑田武。センターグラビアでは『3冠王を競う長嶋と桑田』と題し、桑田と巨人・
長嶋茂雄が徹底比較されている(2人の力コブの写真も)。
本文巻頭は、巨人独走のセに比べれば多少は混戦気配のパの優勝争いで、『三原、鶴岡、別当の激突~もつれるかパ・リーグ夏の陣』。
三原脩監督の西鉄、
別当薫監督の大毎に追われる首位南海の鶴岡監督は次のように語っている。
「大毎のほうがすごみがあるな。西鉄はいま当たってないよ。ただね、西鉄の強さというのは、うちと大毎、そして西鉄が首位を争った場合、やはり優勝経験があるから西鉄に有利となってくる。そうならないためには、やはり独走態勢を築くこと。それを実現するためには、1戦1戦を勝ち抜くことだ」
この時期、死球が急増していたようで『狙われた長嶋、抗議する豊田~続発するビーン・ボールの恐怖』という記事があった。7月1日から10日までに10の死球があったらしいから穏やかではない。これによると日本球界で初めて「ビーン・ボール」という言葉を公に使ったのは、西鉄の
若生忠男で、そのときは大騒動となったらしい。
『12球団週間報告』の
広島ページには、のち阪急ほかを指揮する名将・
上田利治の逸話があった。このときは現役捕手だったが、打席でインコースの厳しい球がグリップに当たった際、左手を痛そうにしながら一塁に向かって走り出したという。これぞ広島捕手の後輩・
達川光男の名人芸「当たったふり死球」ではないか。まさか元祖がウエさんとは思わなかった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM