
甲子園もあちこちに亀裂が入った
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月17日だ。
1995年1月17日の早朝5時46分、あの
阪神・淡路大震災が起こった。建物の倒壊に加え、あちこちで火災が起こり、被害が広がる。被災地一帯では電気、ガス、水道のライフラインが止まり、交通も寸断された。その後、救助が進む中で亡くなった方の数が日に日に増え続け、最終的には6435人となった。
球界もまた、球場、選手寮、選手の自宅などが大きな被害を受けた。そしてまた、人々の生活が普通に営まれているからこそ、スポーツがあるという、根本的でありながら忘れがちな事実を突き付けられた日でもあった。
当時、関西には阪神タイガース、
オリックス・ブルーウェーブ、近鉄バファローズがあった。
60周年を迎えていた阪神の選手では、
嶋尾康史が神戸市灘区の自宅マンションで被災し、割れた窓ガラスが左肩に刺さる負傷。自宅に戻れず、車の中で寝泊まりした選手もいた。甲子園球場もあちこち亀裂が入り、タイガーデン(鳴尾浜新球場)では泥水が噴き出る液状化現象が起きて、寮生の帰宅が認められることになった。
被害が大きかった神戸市を本拠地にしていたのが、オリックスだ。逆に、自宅が被災した選手、関係者たちが次々合宿所に避難してきたという。
このときは選手たちにとって自主トレ期間中でもあり、選手会長の
星野伸之は四国にいた。
「大したことないと思い、練習していたら昼くらいに知り合いから電話があって『すぐ神戸に帰れ! 大変なことになっているぞ!』と。テレビを見たら火の海。嫁さんに電話してもつながらず、心配しました。タンスが倒れたりして、かなりやばかったらしいです」
グリーンスタジアム神戸近くの自宅で被災した前年の最多勝・
野田浩司は、3キロほど離れた街が炎で包まれているのを見て、「今年のオリックスは、とても野球なんかやってられんだろう」と思ったという。
ベテラン外野手の
本西厚博も自宅にいて軽いケガをしたが、ショックの中で、あえていい方向に考えようとした。
「この日の午前中、沖縄の自主トレに出発するはずだった。もし時間がずれ、出発した後で起こったら家族とは連絡が取れなくなった。不謹慎かもしれないけど、今年は何かいいことが起こるんじゃないか、と思うことにしました。もしかしたら、オリックスは優勝するんじゃないかって……」
あの日、すべてが混乱していた……。
写真=BBM