背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 江藤から始まる多彩なドラマ
現役では攻守に安定感のある内野手が多い。筆頭は球界屈指の二塁守備を誇る広島の
菊池涼介だろう。広島は
長内孝から好打者の系譜となり、これを受け継いだ長距離砲の江藤智は広島を皮切りに3球団で「33」を背負い続けた。
ヤクルトには2015年に打点王となった
畠山和洋がいる。パ・リーグでは
西武の
山川穂高。成長株の長距離砲で、現役最晩年を西武で過ごした江藤の後継者でもある。
楽天には
銀次。その楽天で13年の日本一に貢献した
マギーは
巨人で日本球界に復帰して「33」に。マギーもまた、江藤の後継者だ。
江藤がFAで広島から移籍してきたとき、現役時代の背番号を並べた「33」を着けていたのが
長嶋茂雄監督だ。江藤に「33」を譲ったことで、再び栄光の「3」を背負って勇退まで指揮を執ることになる。ちなみに、現役時代の強打で球史に名を残した「33」の監督は2人目。元祖は
ロッテの
山内一弘監督だ。
【12球団主な歴代背番号「33」】
巨人
戸田吉蔵、原田俊治(治明)、長嶋茂雄(監督)、江藤智、マギー☆
阪神 上田正、
森光正吉、
池内豊、
大野久、
糸原健斗☆
中日 杉山悟、
吉沢岳男、
郭源治、
小山伸一郎、
祖父江大輔☆
オリックス 梶本隆夫、
松本正志(祥志)、
平井正史、
高木康成、
縞田拓弥☆
ソフトバンク 窪義幸、
久保寺雄二、
斉藤学、
星野順治、
増田珠(2018~)☆
日本ハム 大畑庄作、
毒島章一、
村井英司、
矢貫俊之、
大田泰示☆
ロッテ
若林忠志(兼任監督)、山内一弘(監督)、
田子譲治、
橋本将、
南昌輝☆
DeNA 高松延次、
高橋重行、
市川和正、
古木克明、
乙坂智☆
西武
菊川昭二郎、
立花義家、
玉野宏昌、江藤智、山川穂高☆
広島 飯浜孫美、長内孝、江藤智、
鞘師智也、菊池涼介☆
ヤクルト
森谷良平、
斎藤良雄、島原公二、
中西親志、畠山和洋☆
楽天
平石洋介、銀次☆
(☆は現役)
勇者が残した好投手の伝説

阪急・梶本隆夫
現役で外野手はDeNAの乙坂智と日本ハムの大田泰示のみ。高校時代は外野手だった新人の増田珠はソフトバンクで内野手登録となる。
「33」の系譜で特筆すべき外野手は、1954年から71年までの長きにわたって背負い続けた東映の毒島章一。三塁打が多く、900打席連続無併殺打をマークした好打者だ。穏やかな性格ながら、長く東映の主将として
張本勲や
大杉勝男らの“暴れん坊”たちを取りまとめて“ミスター・フライヤーズ”と呼ばれた好漢でもある。
1リーグ時代は稀少だった「33」は、2リーグ制となって早々、投打に開花する。セ・リーグには中日の初代でもある大砲の杉山悟がいた。中日は低迷期の正捕手だった吉沢岳男らを経て郭源治が「30」から“移籍”し、クローザーとして88年に
星野仙一監督の初優勝に貢献、MVPに輝いてからは、投手がリレーする少数派の系譜に。
中日で初めて先発ローテーションに入り、カムバック賞に輝いた平井正史も「36」からの“移籍”だったが、もともとはオリックスで95年のリーグ優勝を支えた「33」のクローザーだった。
オリックスはメジャーから復帰した
田口壮が着けてからは野手が続くが、50年代にさかのぼると、阪急の低迷期から黄金期までの20年間を「33」で投げ抜いた左腕の梶本隆夫がいる。9連続奪三振も、低迷期のシーズン15連敗も、ともに現在も残るプロ野球記録だ。通算254勝255敗。名球界入りしながら負け越した唯一の投手でもある。
写真=BBM