
契約更改後の会見での川尻
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月24日だ。
2000年に10勝を挙げ、虎のエース格となった
川尻哲郎だが、1勝に終わった翌01年オフの契約更改で突然、ポスティングでのメジャー移籍を要求した。独特のサイドハンドからの伸び上がるような球が武器で、確かにメジャーでも面白い存在になる可能性はあったが、その年、わずか1勝しかしていないのに、なんでそこまで、というほど強気で、当初は「3月まで粘る」と宣言していた。
風向きが変わったのは、闘将・
星野仙一の監督就任だ。ダメ球団、選手がゴネて当たり前の雰囲気が星野
阪神への期待感で「くだらんことでゴネてる場合か」になった。
一方で、マスコミには「あいつは何を考えとるんや!」と突き放すようなコメントをしていた星野監督だが、実は大阪市内で川尻と直接会ったり、電話で何度も連絡を取ったりするなど、陰では熱心な引き留め工作をしていた。いつもそうだが、こういう駆け引きがうまい監督だ。
そして2002年1月24日、ついに契約更改。年俸は20パーセントダウンの6800万円だった(推定)。
「星野監督には人間の大きさを感じた。この人の下でプレーしたい、優勝したいと思わせる人です」と川尻。一方、星野監督は川尻がサインをしたと聞き、「会ったし、話したし、ぬかりはないよ」とニヤリと笑った。
ただ、メジャーの思いは捨てておらず、「とにかく夢は捨てないでFAまで頑張る。それまでは阪神で実績を残したい」とも語っていたが……。
写真=前島進