長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 ターニングポイントの1年

サブマリンで200勝も達成した山田
1975年、阪急は優勝、そして
広島を破り球団初の日本一に輝いた。しかし、開幕投手でもあったエースの
山田久志は、引退か現役続行かで日々揺れていたという。この年、12勝10敗2セーブ。誇り高き男にとって納得できる数字ではないかもしれないが、そう悪いものではない。27歳と脂が乗り切っている。やめる理由などないように思うが、山田は本気だった。
「みんな山口、山口って(新人・
山口高志。日本一の立役者、史上最速のストレートを投げる男とも言われた)。上田(利治)監督の使い方も、ほんと存在感のないやり方。いままで山田って言ってたヤツはどこに行ったんだって。こんなことを考えている自分も嫌だったんで、だったらやめたろかって」
実際、水面下で
阪神との移籍話もあったが、上田監督との話し合いで残留。その後、「見返したる」と燃え、シンカーを習得。それまでのストレート、カーブのピッチングからグッと幅が広がり、翌76年は26勝で最多勝&MVP。以後、MVPは3年連続で獲得している。
奇しくも75年は、山田の勲章でもある12年連続開幕投手のスタートの年だ。いろいろな意味でターニングポイントとなった1年だった。
山田久志(やまだ・ひさし)
1948年7月29日生まれ。秋田県出身。能代高から富士鉄釜石を経て68年秋のドラフト1位で阪急に指名され、腰痛の治療のために69年途中に入団した。3年目の71年に最優秀防御率に。76年から3年連続MVP。82年には200勝を達成。88年限りで現役引退。2006年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP3回、最優秀防御率2回、最多勝利3回、通算成績654試合登板、284勝166敗43セーブ、防御率3.18。
写真=BBM