
キャンプ地入りし、歓迎セレモニーを受ける梨田監督ら
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月31日だ。
2004年、ちょうど近鉄ナインが勇躍キャンプ地の宮城県・日向入りしたころだった。
1月31日、朝日新聞夕刊に載った「近鉄、球団名売却へ」の見出し。問い合わせが殺到したため、球団側は急きょ大阪市内のホテルで会見をセッティング。配布された「命名権付きチーム協賛」と題する資料をもとに計画の詳細が明かされた。
説明では2001年に優勝したときのPR効果である361億円の10分の1、36億円で球団名を売却するというもの。この時点では球団そのものの売却ではなく、いわゆるネーミングライツだった。要は「近鉄」という名前が消える、という話だ。
球団社長も「株式の移動は考えていない」ときっぱり。年間実質30億円とも言われた赤字解消のための苦肉の策だという。
すぐさま反発したのが、
巨人・渡辺恒雄オーナーだ。「明らかな協約違反だ」と断固認めない姿勢を示した。
西武・堤義明オーナーも「パ・リーグのイメージダウンにならないよう慎重に行動してもらいたい」と近鉄の動きに釘を刺すような発言。事態は泥沼化を感じさせたが、もちろん、この時点で、誰もこの先の展開は想像できなかった。いや、していた人もいたのだろうが……。
梨田昌孝監督は「いまのまま行けたらと思うが、企業として考えるのは当然。決まったわけじゃないけど寂しい思いはある。しっかりやれと尻をたたかれたと思って頑張ります」と語っていた。
写真=BBM