
ヒゲなしの下柳も新鮮だ
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月2日だ。
2000年オフは、日本における代理人交渉元年だ。
中日・
前田幸長、横浜・
斎藤隆、
ヤクルト・
古田敦也ら9選手が代理人交渉を行った。
その中でも交渉第1号は、契約更改がいつもすんなり終わらなかった
日本ハム・
下柳剛。入団以来、リリーフで活躍してきたが、この年は途中から先発に回り、8勝4敗をマークしていた。
このオフもやはりもめ、越年となった。
2001年2月2日は、下柳の年俸に関する調停委員会が都内のコミッショナー事務局で行われた日だ。下柳側は代理人の弁護士、球団側からは球団役員が出席。下柳の希望額は1億5000万円、球団側は1億3750万円を提示していたが、委員会は1億4000万円の裁定。結果を受け、キャンプ地で会見した下柳は、すっきりした笑顔を見せた。
写真=BBM