
前橋育英高(群馬)の主将として昨夏の甲子園に出場した飯島は2月4日、日体大の合宿所に入寮した
高校球児にとって、唯一無二である甲子園。
「野球人生が終わってもいい」
家族、仲間のため、そして、郷土の期待を背負って戦う。そこまで選手の心を突き動かすほど、特別な場所なのである。
冒頭のコメントは昨夏、故障を押して出場した前橋育英高(群馬)の主将・
飯島大夢(当時3年)が発した言葉だ。記憶が確かならば、2009年夏、花巻東・
菊池雄星(
西武)以来となる“衝撃発言”だった気がする。
飯島は昨春の関東大会準々決勝(対浦和学院高)で左手首に死球を受け骨折し、全治5週間の診断が下った。ところが、回復は思わしくなく、痛みを抱えたまま、3年生最後の夏を迎えた。
「四番・三塁」の大黒柱。前橋育英高にとって、キャプテン不在のチームは考えられなかった。群馬県大会は決勝まで6試合中4試合の出場。打点0(10打数3安打)と本来の姿とは程遠い姿だったが、チームメートの奮起もあり、甲子園出場を決めている。
大会本番まで治療に専念。山梨学院高との1回戦前日にバットを振ったが、絶望的な状況だった。しかし、飯島に「欠場」の選択肢はなく、痛み止めの薬を服用、患部にサポーターをつけてグラウンドに立った。
この厳しい状況下で、不屈の闘志を見せた。左手が使えない中、右手で押し込んでの左中間本塁打(高校通算18号)。飯島は3安打3打点で初戦突破に貢献すると、明徳義塾高(高知)との2回戦でも1安打。しかし、花咲徳栄高(埼玉)との3回戦では、ついに痛みも限界に達した。6回の第3打席では、スイングのたびに顔がゆがみ、苦悶の表情を浮かべた。最後は、空振り三振。
「あの打席で野球人生が終わってもいい。それぐらいの気持ちでフルスイングできたので悔いはない」
7回に代打を告げられ、チームも敗退した。すべてを出し尽くした。
しかし、甲子園で無理をした代償はあまりに大きかった。
あの夏から約半年が経過。飯島は2月4日に進学先の日体大野球部の合宿所に入寮した。夏以降、電気治療や複数の整骨院や整形外科で治療を進めてきたがまだ、完治はしていないという。
「無理をしないように、今回はゆっくり治していきたい」
もちろん、甲子園での強行出場に「後悔はないです」と、前を向く。
野球ができない分、ウエートトレーニングで10キロ増(184センチ90キロ)。また、徹底的に走り込んだ成果で体は一回り、大きくなった印象だ。右の大型三塁手。戦列復帰した際には、これまで以上にスケールアップした姿を見せてくれるに違いない。
抜群のリーダーシップと責任感。飯島の加入は戦力としてはもちろんのこと、日体大が推し進める「良いチーム」を目指す上でも影響力と、空気を変えるオーラを兼ね備えている。
「人のため、チームのためにプレーしていくのが、自分のスタイルだと思います。変わらずにやっていきたい」
日体大・古城隆利監督と前橋育英高・荒井直樹監督はかつて、社会人野球・いすゞ自動車時代のチームメート。そんな縁から日体大への進学が決まり、4月以降は体育教員になるための授業を履修していくが、同時に4年後のプロ入りを目指していく。
「大学は勝負の場所。自分を追い込んで、小さいころからの夢を実現させたい」
名前のごとく、大きな夢をつかむためにも、今はひたすら、我慢の時である。
文=岡本朋祐 写真=BBM