
ブルペンで打席に入り新ストライクゾーンの確認をする大島監督
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月9日だ。
2002年、12球団のキャンプで最大の話題は「新ストライクゾーン」だった。試合時間短縮を目指し、高めのゾーンを広げるものだが、実際には「新」ではなく、「ルールブックどおり」というから複雑だった。感覚的には、高めのゾーンがボール2つほど広がったという。
同年2月9日は12球団で先頭を切って
日本ハムが紅白戦を行った日だ。当時の監督は、本誌コラムでもおなじみの
大島康徳氏。大島監督としては、この新だか、本来だか分からないゾーンを早めに実戦で経験させたい、という意図だったようだ。
結果はやはり「投高打低」。バッテリーは「思い切って投げられる」と笑顔を見せ、打者たちは外角高めのゾーンに驚き、不満の声を上げた(実際、この時点では審判の
ジャッジもかなりばらついていた)。アウトの内訳も三振8、フライアウト18と高めの見極めができず、見逃したり、手を出して打ち上げたことが分かる結果となった。
田中幸雄は「打率二、三分は落ちるかもしれない」と警戒している。
写真=BBM