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背番号物語

【背番号物語】「#56」名バイプレーヤーのラッキーナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

遊撃を守る“ナカジマ”と“ナカシマ”



 いぶし銀のバイプレーヤーたちが背負い、そのほとんどが巣立っていったナンバー。その筆頭格と言えるのが、21世紀のパ・リーグで遊撃を守る2人の“中島”だ。

 まずは2001年に内野経験ゼロで西武へ入団した中島裕之(宏之)。04年に「3」で正遊撃手の座をつかむが、ファームで遊撃守備の猛特訓に励んでいたのが「56」時代で、12年限りで海を渡り、復帰したオリックスでは一塁や三塁をメーンに第一線でプレーを続ける。

 続いて09年に日本ハムへ入団した中島卓也。「56」のラストイヤーとなった13年に二塁や三塁も守ってレギュラー定着、不動の遊撃手となった15年には盗塁王にも輝き、「9」を背負って攻守走でチームを支える。

【12球団主な歴代背番号「56」】
巨人 村田真一村田善則杉山直樹(直輝)、加藤健山本泰寛

阪神 ソロムコ御子柴進藤本敦士阿部健太松田遼馬

中日 中利夫金井正幸前原博之中村公治松井佑介

オリックス 秋本祐作野呂瀬義昭福留宏紀山本拓司武田健吾

ソフトバンク 小川史加藤哲郎柳瀬明宏星野大地田浦文丸☆(2018〜)

日本ハム 猿渡寛茂、渡辺浩(浩司)、駒井鉄平、中島卓也、市川友也

ロッテ 荒川昇治柳田利夫、ソロムコ、坂本文次郎(コーチ)、後藤利幸原嵩

DeNA 福島久、北安博大家友和小池正晃ウィーランド

西武 大和田明、鈴木五郎、中島裕之、鬼崎裕司金子一輝

広島 桜井忠之、有田哲三高木宣宏中崎翔太辻空

ヤクルト 岡野久一中島節男中川明仁、カーペンター、奥村展征

楽天 根市寛貴、戸部浩中川大志寺岡寛治☆(2018〜)
(☆は現役)

メジャーで活躍した右腕も


横浜・大家友和


 パ・リーグの遊撃手では、西武から南海へ移籍して台頭した小川史もいた。パ・リーグへ移籍して成功するケースも投打に散見され、中日で「56」を着けていた田上秀則は戦力外通告を受けてソフトバンクでブレーク。古くは大洋で佐々木宏一郎が1年だけ着けて、のちに近鉄で完全試合を達成している。

 ロッテの系譜には大毎“ミサイル打線”の一番打者となった柳田利夫の若手時代、米軍キャンプ勤務から阪神へテスト入団して2チームで「56」を着けたソロムコら好打者が並ぶが、初代は松竹で正捕手として優勝に貢献した荒川昇治の現役最晩年。セ・リーグ移籍が引退につながったケースもあり、西武の伊原春樹は巨人で、近鉄の加藤哲郎は広島を経てダイエーで、ともに「56」で現役を終えた。

 一方で、メジャー移籍が奏功した異色の右腕が横浜の大家友和だ。「56」で芽が出ないまま海を渡って、息の長い活躍を続けた。その系譜にいる福島久(のち久晃)ら下積み時代の捕手も多く、筆頭は巨人で80年代に着けていた村田真一。90年代に正捕手となって背番号を若くすると、その後の巨人では長く捕手がリレーするナンバーとなった。

「56」を一貫して着けた少数派が阪神で中継ぎのサイドスローとして活躍した“小林繁2世”御子柴進で、のちに藤本敦士の出世番号に。中日でも2代目の中利夫が1年目だけ着けてブレークしたナンバーだが、その後は巨人の“ON”を演出した投手が並ぶ。外山博は唯一の一軍登板で王貞治に通算400号本塁打を献上。金井正幸は一軍初登板が長嶋茂雄の引退試合で、今も語り継がれる伝説の試合に先発して敗戦投手となっている。

写真=BBM
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