
稲葉を高く評価していたのは、当時の高田繁GMだった(左)
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月23日だ。
現侍ジャパン監督にとって、新たな運命が始まった日である。
2004年オフ、メジャー挑戦を希望し、
ヤクルトでFA権を行使した
稲葉篤紀だったが、難航。唯一獲得の意思を見せていたアストロズからも05年2月19日になって「難しい」と連絡があった。
ここで以前から声をかけてくれていた
日本ハム入団を決意。2月23日、キャンプ地の沖縄・名護で入団会見を行った。年俸6000万円(推定)、背番号は「58」だった。
すでに気持ちの切り替えは終わっていたようで「SHINJOさんのコスプレ練習? 言われたらやります。かぶるものはなんでもいい」と笑顔。会見後にはさっそくランニングで汗を流していた。
写真=BBM