長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 ボイヤー[1972-75大洋/内野手]

大洋・ボイヤー
ヤンキースなどで活躍した名三塁手の
クリート・ボイヤー。普通なら日本に来ることのないような選手だが、フロントとの衝突からハワイのマイナーに所属していたとき、大洋がスカウトして72年に入団した。できたばかりのダイヤモンドグラブ賞に、73年は人気者の
巨人・
長嶋茂雄とダブルで、翌年は長嶋を退けて2年連続で選ばれている。
その三塁守備は日本球界に衝撃を与えた。手のひらの感覚を大事にして、子ども用のような小さなグラブを使い、打球に関しては「しっかりつかむ必要はない。大事なのはいかに早く右手に持ち替えるか。ゴロは捕るだけでアウトになるわけじゃないんだから」と話し、捕球の形にこだわることはなかった。
その強肩と積極性は圧巻。三塁線のゴロを、体をピンと伸ばすようにしてダイビングキャッチ。時には片ヒザ、両ヒザを着けたまま矢のような送球で刺した。同じく強肩のセカンドだったシピンとの併殺プレーには“メジャーの香り”がした。
また、親分肌なボイヤーは、アメリカでの実績もあって来日外国人のボス的存在でもあり、不良外国人の
ペピトーンを自分の部屋に呼んで説教したこともある。
写真=BBM