背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 ミスターは2人目の90番台
昭和のプロ野球を知るファンなら、1975年、スター選手だった“ミスター”長嶋茂雄が巨人の監督に就任して「90」を背負った姿に強い印象を残しているのではないだろうか。もう「3」ではない一抹の寂しさとともに、90番台の背番号は新鮮に映ったはずだ。
ただ、メンバー表に残る限りでは、90番台の背番号は長嶋が第2号。さかのぼること2年前、
ロッテで
園田喜則コーチが「90」を着けたのが第1号となる。その73年のロッテでは
金田正一新監督が誕生、新たに80番台がコーチの背番号となって、園田コーチの「90」は80番台から“あふれた”形だった。
ちなみに第3号は一気に飛んで「99」。着けたのは近鉄の鳥坂九十九で、見てのとおり、名前が背番号、というパターンだ。ドラフト外で90番台の背番号が登場した73年に入団して「53」となり、「59」を経て76年に名前と同じナンバーに行き着く。一軍登板はなく、主に打撃投手としてチームを支えた。
【主な背番号90番台】
「#90」 長嶋茂雄(巨人監督)、
西本聖(巨人)、パンチ(
オリックス)、
田口麗斗(巨人)☆、
スアレス(
ソフトバンク)☆
「#91」
広岡達朗(
西武監督)、
下柳剛(
楽天)、
陽耀勲(ソフトバンク)、
堂上剛裕(巨人)、
鵜久森淳志(
ヤクルト)☆
「#92」
山本和範(近鉄)、
橋本清(巨人)、
藤川球児(
阪神)、
平良拳太郎(巨人)、
伊藤和雄(阪神)☆
「#93」
石毛博史(巨人)、
東野峻(巨人)、
辻東倫(巨人)、
湯浅大(巨人)☆、
西田直斗(阪神)☆
「#94」
田之上慶三郎(ダイエー)、
中井大介(巨人)、
橋本到(巨人)、
河野元貴(巨人)☆、
原口文仁(阪神)☆
「#95」
谷内聖樹(近鉄)、
野村貴仁(空生。巨人)、
大久保博元(楽天監督)、ザラテ(阪神)、
バティスタ(
広島)☆
「#96」 安田昌玄(阪急・オリックスコーチ)、
山田広二(
中日)、
條辺剛(巨人)、
林昌範(巨人)、林羿豪(巨人)
「#97」
呂明賜(巨人)、
姜建銘(巨人)、
黄志龍(巨人)、
廖任磊(巨人)☆、
野川拓斗(
DeNA)☆
「#98」
内村賢介(楽天)、フェリシアーノ(広島)、丈武(楽天)、ドリス(阪神)☆、
増田大輝(巨人)☆
「#99」
中込伸(阪神)、
井上一樹(中日)、
中村紀洋(中日、楽天、DeNA)、
メヒア(西武)☆、
松坂大輔(中日)☆
(☆は2018年)
“アジアの大砲”の「97」
巨人・呂明賜
90番台の傾向はチームによって異なる。一般的になったのは長嶋がユニフォームを脱いでからで、打撃投手やブルペン捕手が着けることも多くなり、現在の育成選手といった立場の選手や“第3の外国人”に与えられるケースも増えていった。チームスタッフの背番号が3ケタになったころから、育成から支配下に登録される選手を待っている状態での“欠番”となっていることも少なくない。
長嶋監督に始まった巨人の90番台は名選手が多く、その「90」は、長嶋監督の「33」時代にテストを受けて復帰した現役最晩年の西本聖を経て、田口麗斗が継承。左腕エースのナンバーとして新たな印象を築きつつある。
橋本清らキャリアの締めくくりとなったケースもあるが、90年代に「93」から台頭した石毛博史ら、出世番号となるケースのほうが多い。現役の「32」で活躍する橋本到も「94」出身だ。
異色なのは「97」。呂明賜が88年に“第3の外国人”からチャンスをつかんで旋風を巻き起こしたナンバーで、21世紀に入って台湾の後輩たちが多い系譜となった。
写真=BBM