長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 ミッチェル[1995−途 ダイエー/外野手]
ダイエー・ミッチェル
メジャー通算220本塁打を放ち、1989年には本塁打王、打点王、さらにMVPにもなっている超大物の
ケビン・ミッチェル。95年、推定4億円の年俸でダイエーに入団決定のニュースに誰もが驚いた。ただ、それは野球での実績からだけではない。ミッチェルがとんでもないトラブルメーカーであるというウワサもあったからだ。
だが、意外とスムーズに来日。
西武との開幕戦(西武)では四番に座り、初回、無死満塁で打席へ。ここでミッチェルは
郭泰源から弾丸ライナーのホームラン。プロ野球史上初の開幕初打席満塁アーチで“4億円砲”の威力を見せつけた。
しかし、ウワサどおり、その後、トラブルメーカーぶりを随所に渡って発揮。4月14日にはスタメンに名を連ねながら、試合直前に「熱がある」と言って突然の欠場。翌日は飛球を追った際に「古傷の右ヒザを痛めた」と言って途中欠場。
5月に入ると“サボタージュ病”がいよいよ本格化する。11日、雁の巣での練習を欠場。右ヒザ痛を理由に直後の東京遠征をキャンセル。このため東京へ来ていた瀬戸山球団代表がミッチェルを説得しに福岡へ戻った。
そして、日本の病院で精密検査をしたまでは良かったが、5日からの西武遠征中に立川の米軍基地で飲酒したことを叱責してしまった。これがトラブルメーカーに火をつけることになった。
「プライベートなことは球団とは関係ない! そんなことを言うのなら、アメリカへ送り返してくれ! あとは代理人と話してもらえればいい」
翌日から一応、球団の指示に従って病院に行ったミッチェルは、「スポーツには支障がない」と診断された。しかし、「アメリカの主治医に治療法を聞いてみたい」と言い残して無断帰国。球団は解雇の方向性だったが、年俸の問題からか7月下旬に再来日。29日に出場して5打数4安打と打ちまくるが、また「右ヒザが痛い」と言い始めて帰国。もう、このころには球団も完全に見切りをつけていて、8月に解雇となった。
ミッチェルはその後、米球界に復帰し、ダイエーに対して年俸の全額支払いを求め、裁判を起こしている。
写真=BBM