いよいよ始まった「第90回記念選抜高校野球大会」。週べONLINEでは歴代の名勝負をピックアップし、1日1試合ずつ紹介していく。 9回表終了時までリードも……

力投を見せた真壁だったが……
2004年4月2日準々決勝
済美(愛媛)7−6東北(宮城)
最後の最後に信じられない結末が待っていた。
2004年センバツ、
ダルビッシュ有(東北)は、主将として3季連続の甲子園に戻ってきたが、その最後は本職のマウンドではなく、レフトの守備位置で打球を見上げながら終わった……。
1回戦では古豪・熊本工相手に初回からエンジン全開。最速147キロの真っすぐにタテに割れるカーブ、スライダー、シュート、フォークと持ち前の投球術を駆使し、力と技で12奪三振。走者を許したのは2四球と1失策で10年ぶり大会史上12人目のノーヒットノーランを達成した。夏を含めると、98年に横浜・
松坂大輔が決勝で遂げて以来の快挙。数々の名選手を生みだした甲子園に「新怪物」が誕生した瞬間だった。
しかし大記録の代償だったのか、西の横綱・大阪桐蔭との2回戦では、中村桂司に初の1試合2本塁打を浴び、「途中から肩に張りを感じて、5回からまったく腕が振れていなかった」というダルビッシュは6回終了後に若生正広監督に降板を申し出た。
そこからは前年夏も救援で活躍した右サイドハンドの真壁賢守で残り3イニングを何とか逃げ切り、東北は19年ぶりの8強に進んだ。
準々決勝の済美戦でもダルビッシュは右肩の張りもあって「100パーセントではない」(若生監督)と登板回避し、真壁が先発。実は真壁も大会前から腰痛を抱え、本調子ではなかったが、気迫の投球でしり上がりに調子を上げる。東北打線もそれに応え、9回裏、済美の攻撃を前に6対2とリードした。
残り1イニングを真壁が抑えれば、72年以来の4強進出が決まり、悲願の優勝旗、「白河の関越え」も見えてくる……。
邪魔したのは試合前から吹き荒れていた強風だった。
最終回、済美打線が真壁をとらえ、2点差とされるも、二死走者なし。ダルビッシュは6回から攻撃時にブルペン入りし、準備を進めたが、「気迫もあったし。このまま抑えてくれる」と若生監督が判断し、真壁に託した。
続く一番・甘井謙吾の打球は右翼ファウルグラウンドに。捕球すれば、幕切れだったが、大きく風に押し戻され、二塁手がなんとかグラブに触れるも落球してしまう。
結局、その後、連打を浴び、一、二塁から済美・高橋勇丞がレフトのダルビッシュの頭上を越えるサヨナラ3ラン。大会史上初の9回4点差サヨナラ負けだ。試合後のダルビッシュは「負けたんかな、という感じ。終わった気がしない。自分が打てなかったのが原因です」と打力を買われ五番で起用されながら4打数無安打に終わった自身を責めた。
写真=BBM