いよいよ始まった「第90回記念選抜高校野球大会」。週べONLINEでは歴代の名勝負をピックアップし、1日1試合ずつ紹介していく。 お互いに譲らず延長戦へ

宿舎であらためて勝利の喜びをかみしめる岡山東商ナイン
1965年4月4日決勝
岡山東商(岡山)2-1市和歌山(和歌山)
観衆6万5000人。いまではありえない数字が、その熱狂ぶりを示している。地元岡山では、試合時間になると街で外を出歩く人が消えたという話もあった。
岡山東商のエース・
平松政次は、この決勝まで大会タイ記録の36イニング無失点。奪った三振もちょうど1イニング1個平均で36。前年秋の中国大会では1試合もなかった完封が4試合連続だ。プロ時代に決め球、“カミソリシュート”はまだなく、9割はストレートだったという。
一方、市和歌山商には中京商との2回戦で1試合2ホーマーを放った大会屈指の強打者・
藤田平がいる。のち平松は大洋で200勝、藤田は
阪神で2000安打と、名球会入り選手が激突した一戦でもあった。
平松と市和歌山商の岡本喜平が先発。試合が動いたのは、3回裏だった。岡山東商が宮崎米三のタイムリーで先制。ただ、市和歌山商も負けてはいない。4回に九番・土津田司のタイムリーで同点に追いつき、39イニングまで伸びていた平松の無失点記録もストップした。
ここから投手戦となり、互いに「0」行進で延長戦に突入する。決着がついたのは、13回裏だった。岡山東商は一死二塁から三番・中島賢一がセンター前に。走者の宮崎が一気にホームに向かう。センター・藤田も好返球を見せたが、捕手が落とし、サヨナラ勝ち。これが岡山県勢初の日本一だった。
「精神的にも肉体的にも限界が来ていた」という平松は、勝利の瞬間、「よかった、というより、ああ、これでもう投げなくていいという思いのほうが強かった」と振り返る。
写真=BBM