プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 テスト生からの新人王とMVP
投打の中心となるのは、ともにテスト生から這い上がり、投げては新人王、打ってはMVPに輝いて、2リーグ分立後の覇権を争うチームを支えた“シンデレラボーイ”たちだ。
投手は左腕の松田清。1951年にプロ野球新記録となる19連勝を含む23勝、最優秀防御率にも輝いて新人王に。巨人のセ・リーグ初優勝に大きく貢献、連勝記録も翌52年にまたがって20まで伸ばして、2013年に
田中将大(
楽天)が24連勝で更新するまで、57年の
稲尾和久(西鉄)と並んで長く連続シーズンのプロ野球記録だった。
打者は南海“百万ドルの内野陣”で二塁を守った
岡本伊三美だ。遊撃手としてテスト入団も、名遊撃手の
木塚忠助がいたことで、選手としては衰え始めていた鶴岡(山本)一人が守っていた二塁を狙って猛特訓。試合終盤の守備固めから俊足巧打で頭角を現して、53年に首位打者となってチームをV3に導き、MVPにも選ばれている。
【1930年生まれのベストナイン】(1930年4月2日~31年4月1日生まれ)
投手 松田清(巨人ほか)
捕手
沼沢康一郎(大毎)
一塁手
河野昭修(西鉄)
二塁手 岡本伊三美(南海)
三塁手
ジム・バーマ(西鉄)
遊撃手
内藤博文(巨人ほか)
外野手
岩本堯(巨人ほか)
荒川博(大毎)
東谷夏樹(阪急ほか)
指名打者
スタン・パリス(東京)
松田は活躍した期間はその2年のみで、通算成績で上回るのが
大津守(西鉄ほか)。55年にノーヒットノーランを含む21勝を挙げた右腕だが、のちに結核を患って、やはり活躍できた期間は長くなかった。短命ながら20勝投手の左右両輪が並ぶ投手陣に厚みを加えるのが、プロ野球記録の71球での完封勝利を挙げた
柴田英治(阪急)。抜群の制球力を誇る右腕で、個性豊かな三本柱となった。
それを受ける沼沢康一郎は毎日から大毎にかけての控え捕手だが、のちに
ヤクルトで指導者として“早大カルテット”を形成。その中心人物で監督だったのが外野の荒川博。現役時代よりも、巨人で
王貞治に“一本足打法”を叩き込んだことで知られる名コーチだ。
“助っ人三銃士”の一角

西鉄・バーマ
打線はリードオフマンの岡本を地道につないで生還させるのが得点パターンだろう。巨人で
千葉茂の後継者となった名二塁手の内藤博文が岡本とポジションが重なるが、本職は遊撃手のため、ここでは遊撃に。犠打などの小技もこなすので、二遊間だけでなく、岡本と一、二番を組むことになりそうだ。
やはり二塁で重なるのがバーマ。“助っ人三銃士”の一角として63年、西鉄の大逆転優勝に貢献した巧打者で、二塁守備も巧みだったが、通算わずか32試合の三塁へと回ってもらう。不動の一塁手は同じく西鉄の河野昭修だ。活躍した期間はバーマより少し前のV3時代。悪送球をすくい上げるのが得意で、内野陣に不安は少ないと言えるだろう。
河野やバーマとクリーンアップを担うのは黄金時代の巨人を支えた頭脳派外野手の岩本堯。三塁打が多い中距離打者で、それは指名打者のパリスも同様。65年の25本塁打が自己最多だ。
52年にパ・リーグ初のサイクル安打を達成した外野の東谷夏樹も巧打者タイプで、打線は全体的に破壊力に欠ける印象。岡本を除けば、機動力も充実しているとは言い難い。貴重な得点を三本柱が守り抜けるかが勝負の分かれ目となりそうだ。
写真=BBM