今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『幻の日本シリーズ始末記』
今回は『1961年3月20日号』。定価は30円だ。巻頭グラビアはベロビーチでの巨人キャンプ風景。『ドジャースの戦法』の著者、ドジャースのアル・カンパニス・コーチも熱心に指導している。
本文巻頭も『ベロビーチの巨人軍』。猛暑の中、基本プレーについて短時間で集中的なトレーニングを行った。1週間後の紅白戦では
長嶋茂雄がランニングホームラン。ドローチャー・コーチも「あのバックナンバー3はいいね。さすが日本のNo.1プレーヤーだけあるぜ」と称賛していた。
国内でのオープン戦では、九州・西日本で行われる大洋-大毎6連戦という前年日本シリーズのカードについて『幻の日本シリーズ始末記』という記事があった。東京の記者たちは大盛り上がりを予想していたが、小倉球場はおよそ6000人と閑散。ちょうど西鉄-国鉄戦が平和台で行われていたのもあったらしい。
目算が狂ったのが、このカードを主催した地方のプロモーターだろう。ウィークデーが120万円、休日が150万円と破格の値段で興行を買っていた。おそらく大損だ。
ただ、会場が大洋の御当地とも言える下関に移ると、まったく違ってくる。球場は大洋ファンで満員。おそらく入場料収入もたっぷりだったはずだ。
『花盛りオープン戦の経済学』という記事もあったが、そこにはオープン戦の経費を
両チームの宿泊費 7万2000円(1チーム1人1200円30人2泊)
旅費(一等特急) 10万円
ボール代(3ダース) 1万5000円
試合経費 5万円
宣伝費 10万円
計 34万7000円
としていた。いまと比べ10分の1くらいの感覚だろうか。
自動車事故死した
スタルヒンの野球殿堂入りが決まり、ターニャ夫人へのショートインタビューも掲載されていた。そこでスタルヒンについて「どんな人だったでしょうか」と聞かれ、
「悪い面もたくさんありましたが、逆にふつうの人が持っていないようないい面もたくさんありました。人との付き合いも、特定の人というんじゃなく、誰とでもよかったんです。そういうことで小さいころから苦労してきたらしいですね」
陽気な社交家にして、孤独な男。数奇な運命をたどったスタルヒンらしい。
以下、宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』『
日本ハム編』が好評発売中です。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM