プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 歴代屈指の鉄腕2人
史上初の両リーグ首位打者となった
江藤慎一が打線の主軸となる1937年生まれの世代だが、特徴的なのはタフネスぶりで球史に名を残した投手が多いところ。特に、鉄腕ぶりでは歴代でも屈指で、タイプの異なる2人の右腕が顔をそろえる。
打線を中心に考えれば“江藤世代”だが、やはりこの世代は“鉄腕世代”というべきだろう。ベストナインには、神様や仏様と並び称された鉄腕を置いた。56年からの西鉄3連覇、58年の
巨人との日本シリーズでは5連投で4連勝して、奇跡の大逆転日本一にチームを導いた稲尾和久だ。
【1937年生まれのベストナイン】(1937年4月2日〜38年4月1日生まれ)
投手 稲尾和久(西鉄)
捕手
種茂雅之(東映ほか)
一塁手
藤本勝巳(
阪神)
二塁手
近藤昭仁(大洋)
三塁手
西園寺昭夫(東映ほか)
遊撃手
阿南準郎(
広島ほか)
外野手 江藤慎一(
中日ほか)
坂崎一彦(巨人ほか)
山本八郎(東映ほか)
指名打者
アート・ロペス(
ロッテほか)
無名の打撃投手から這い上がって1年目から21勝。2年目の57年は2013年に
田中将大(
楽天)が更新するまで長くプロ野球タイ記録だった20連勝を含む35勝を挙げて、以降2年連続で最多勝、61年にもプロ野球記録に並ぶ42勝、78試合登板はプロ野球記録としては21世紀に入ってリリーバーたちに更新されたが、先発に救援にフル回転した稲尾の鉄腕ぶりは別次元であり、現在もパ・リーグ記録として残る。
62年から肩痛に苦しめられ、徐々に登板を減らしていった稲尾の一方で、長きにわたって第一線で投げまくって19年連続で2ケタ勝利を挙げた“ガソリンタンク”
米田哲也(阪急ほか)だ。通算949試合登板は、やはり2017年にリリーバーの
岩瀬仁紀(中日)が更新してプロ野球記録ではなくなったが、投球回数は岩瀬の5倍を超える。やはり別次元の鉄腕ぶりと言えるだろう。
他の投手陣も通算100勝を超えた好投手が並ぶ。7年連続2ケタ勝利の
坂井勝二(東京ほか)、東北高(宮城)の“三若生”から
若生智男(阪神ほか)と
若生忠男(西鉄ほか)。そして外国人選手で初めて沢村賞に選ばれたバッキー(阪神)と、まさに投手王国だ。
打線を引っ張る“闘将”
中日・江藤慎一
不動の四番打者となりそうな江藤を中心に、打線も盤石だ。江藤と外野陣に並ぶのは浪華商高で55年のセンバツを制した“大明神”坂崎一彦と山本八郎。坂崎は天覧試合で本塁打を放っているが、対する阪神でアーチを架けたのが一塁の藤本勝巳で、60年に本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いた強打者だ。
その60年に日本シリーズMVPに選ばれたのが二塁の近藤昭仁。捕手の種茂雅之は62年の日本シリーズMVPを投手の
土橋正幸と分け合い、そのときのチームメートが三塁にいる西園寺昭夫と山本だ。遊撃の阿南準郎(潤一)は堅守で鳴らしたバイプレーヤーだ。
投打に盤石ではあるが、気性が荒い選手が多いところに不安が残る。「闘志にスランプなし!」が口癖の“闘将”江藤を皮切りに、坂井と若生忠は3度の与死球王で、若生忠はケンカで日本刀を持ってチームメートを追いかけ回したことも。バッキーと山本は乱闘劇でも球史に名を残している。
“抑え役”は指名打者のロペスだろうか。陽気な性格で“下町の太陽”と呼ばれた助っ人。人格者でもあった稲尾とともに、チームの精神的支柱としての役割も期待されそうだ。
写真=BBM