今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 プロ野球初の沖縄での公式戦、西鉄−東映戦
今回は『1961年6月5日増大号』。定価は10円上がって40円だ。まずはセンターグラビアで紹介されていたプロ野球初の沖縄での公式戦、西鉄−東映戦(奥武山)の話だ。
当時はまだ米軍の統治下。入場料金はネット裏の特別席が4ドル、一番安い外野席が1ドルだった。1ドル360円の固定相場時代である。4ドルは沖縄では月の家賃の半分で、沖縄では行きたくても行けなかった人も多かったらしい。
いろいろカネの話が出ていた。これは那覇市から西鉄に依頼し、実現したものだったが、移動費、宿泊費は沖縄持ちでギャラは1試合1万ドルとも1万5000ドルとも言われてた。ちなみに西鉄は選手一人に200ドル、東映はチーム全体で400ドルのギャラが支払われたらしいが、東映・
水原茂監督は「西鉄の金儲けの片棒をかついでやったようなもんだ。ホテルも向こうは冷房つきなのに、こっちはない。もう沖縄には来たくない」とお冠だった。
巻頭特集は『巨人・大洋ビーン・ボール事件のうら』。センターグラビアも大きく割かれていた。これは5月20日、巨人─大洋戦(後楽園)で起こった乱闘寸前の事件だ。
4回裏、大洋の
鈴木隆が長嶋茂雄の顔面のあたりに快速球を投げ込んだのがきっかけだ。各チームの投手から厳しい攻めをされていた長嶋は一瞬ムカッとしたのかマウンドに向かいかけたが、二、三歩進んだところで、踵を返した。
続く5回表、今度は巨人・
堀本律雄が打席に入った鈴木隆の体近くに投げると、鈴木がバットを持ったまま、マウンドに向かう。ここで真っ先に飛び出したのが、三塁手の長嶋で、そのまま鈴木隆とつかみ合いになった。そのまま両軍のもみあいになったが、なぐり合いにならなかったこともあり、退場者は出ていない。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM