
巨人キラーと呼ばれた川崎
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月20日だ。
ヤクルト・
野村克也監督2年目の1991年、前年王者の巨人との初対決は4月19日からの神宮3連戦だった。結果から言えば、そこまで4位と波に乗れずにいたヤクルトだが、巨人・
長嶋茂雄デビュー年である1958年以来となる対巨人の開幕からの3連勝を飾っている。
4月20日は、その2戦目である。ヤクルト先発は巨人キラー、
川崎憲次郎だが、この年は2試合連続で打ち込まれ、先発ローテを外されてた。それでも野村監督が「あいつは巨人戦になると人が変わるんや」と2日前の18日に急きょ指名しての先発だった。
試合後、「野球なんてやってみんと分からんな」と野村監督の高笑い。川崎は相性のよさを存分に発揮し、3安打1失点の完投勝利。打線は湿って2点のみだったが、ヤクルトが2対1と勝利。80年以来となる単独首位に立った。
前日1対0に続き、接戦の勝利だが、それも野村監督の想定内だ。
「巨人の投手陣は悔しいがNo.1。優勝も経験し、修羅場もくぐっている。3点を取るのは容易ではない。天秤にかければ3点以内に抑えるほうが現実的で、カギはウチの投手陣ということや」
前年、対巨人は7勝19敗の負け越し。同年ヤクルトは3位に終わったが、対巨人は14勝13敗と勝ち越した。
「種をまき、水をやり、花を咲かす」
就任3年目、翌92年の“開花”への準備はしっかりと整った。
写真=BBM