
ケガは完治したわけではないが、この年は84試合出場で打率.327
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月21日だ。
現在は
巨人の一軍コーチを務める
吉村禎章。古くからのGファンには、グッとくる名前だ。
天才的なバッティングで1983年に台頭。外野のスタメンに定着し、甘いマスクもあって人気者になった。「この男がいれば巨人の三番は10年安泰」と言われ、当時の四番・
原辰徳も「自分から四番を奪うとしたら吉村だろう」と感じていた。
しかし、1988年7月6日の試合中に負傷。それは再起不能とも言われる大ケガだったが、手術と過酷なリハビリで感動の復活を遂げた。
1990年4月21日、吉村が東京ドームの
阪神戦で654日ぶりにホームランを放った。しかも2発だ。前年89年の9月2日に一軍復帰は果たしていたが、同年のホームランはなかった。
1号は3回、そして2号は5対6と1点差からの同点弾。1本目は淡々とした表情だった吉村も、2本目では一塁を回った際、ガッツポーズをした。試合は6対6のまま延長戦となったが、11回裏、巨人がサヨナラ勝ちを飾っている。
「1本目はもちろん忘れられませんが、2本目はもっとうれしかった。みんながいいムードで必ずひっくり返してやるというときに出ましたからね」。吉村の目には涙はなく、ただ笑顔だった。
同年巨人はリーグ連覇をしているが、そのVを決めたのは、吉村のサヨナラ弾だった。ただ、その後も故障が完治することはなく、徐々に代打の切り札となっていく。
吉村が故障しなければ巨人はどうなっていたのか──。たられば、ではあるが、それをいまも思っている巨人ファンは多い。
写真=BBM