
花束を受け取る藤田。同年は39試合に登板
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月25日だ。
ロッテ時代、
薮田安彦、
小林雅英(YFK)と勝利の方程式を形成し、2005年の優勝、日本一にも貢献した左腕の
藤田宗一。07年に肩の故障もあってオフに戦力外になるも、現役にこだわり、12球団トライアウトを受けて08年は
巨人と契約した。
同年4月25日は、藤田が
阪神戦(甲子園)で527試合連続救援登板の日本記録(当時)を達成した日だ。この日、6回裏に登板した藤田は1イニングを1四球、無失点に抑え、ホールドがついた。1998年4月4日の近鉄戦で初登板し、リリーフオンリーでこぎつけた記録である。これまでの最長は
橋本武広(
西武ほか)の526試合だった。
「ロッテに入ったときは、まさか527試合もリリーフで投げるとは思わなかった。でも、いまはリリーフでよかったと思っています。何より誇りを感じて投げています」と藤田は笑顔。
その後、10年オフに巨人を自由契約になると、12球団トライアウトを受け、今度は育成で
ソフトバンクに。翌11年の開幕前に支配下となり一軍で19試合に投げるが、オフに再び戦力外。最後はBCLの群馬で1年、コーチ兼選手でプレーし、現役を引退した。
写真=BBM