
ついに2000安打到達
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月4日だ(初出より修正)。
今季から
ヤクルトにヘッドコーチとして復帰した
宮本慎也。2012年5月4日は、若手時代、当時の
野村克也監督から専守防衛の「自衛隊」とも言われた守備の達人がバットで輝いた日だ。
「ホッとしました。それに尽きます」。
2000安打の大台まであと25本に迫って開幕。4月22日の
巨人戦(神宮)で残り本数を1ケタの「9」にしてからの12日間は、宮本に対するメディアやファンからの注目度が一段と増した。残り「1」に迫っていた前日5月3日の
DeNA戦(横浜)では、4打席ノーヒット(1四球)。所属するチームではなく、宮本個人だけに注目が集まる経験はプロ18年目にして初めてだったという。
5月4日の
広島戦(神宮)。2回裏無死一塁の場面から、宮本が放った鋭い打球は
福井優也投手の足元を抜け、さらに一瞬で
梵英心遊撃手の左をも抜け、
廣瀬純中堅手のグラブに向かって一直線に転がった。一塁を踏んだ瞬間に宮本は、史上40人目の通算2000安打を達成した打者となった。
この日の神宮球場は、試合開始の2時間以上前となる12時40分にチケットが完売。宮本の偉業をこの目に焼き付けようと大入り満員となった3万3866人は大歓声を挙げ、塁上の宮本へ惜しみない拍手を送った。15時開始の時点では雨中のプレーボールとなったが、空も宮本を祝福するかのように、明るく晴れ間がのぞいてきた。
前年12月。小誌によるインタビューで、宮本はこう言っていた。
「2000安打は、チームにとって必要な戦力とされながら達成したいですね」
実際、「記録達成のため」ではなく、チームにとって本当に必要な戦力だから出ていた。この2000本目のヒットも試合の勝敗に直結する価値があるもので、無死一塁からつないで、田中の犠飛でこのイニング3点目となるホームを踏んだ。試合は8対4で逃げ切り。チームはこの日引き分けた首位・
中日に0.5差にまで接近した。
宮本を含む当時40人の「2000安打」達成者を比べると、通算の本塁打と打点と四球は40人中で宮本が最少。逆に、単打と犠打は最多。さらに今までで四番のスタメン経験はゼロ。何から何まで異色の「2000安打」だ。
試合後の記者会見で、宮本はこう自らを分析した。
「主軸の方が2000本という数字を打たれると思いますが、(自分自身のように)二番を打ったり、下位を打ったりしている選手でもコツコツやれば届くんだと思ってくれればうれしい。小さい体でやってきたので、大きい人に負けたくないという気持ちも強かったですね」
まさに、本来は主軸ではない「わき役」が打ち立てた金字塔。この日ばかりは、宮本は明らかに「グラウンドの主役」だった。
写真=BBM