今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 荒川が言っていた最初の“はったり”
今回は『1962年3月19日号』。定価は40円だ。巻頭グラビアは
巨人-西鉄のオープン戦での
川崎徳次前監督の引退試合。川崎は両軍で活躍した投手でもあった。引退試合は
藤村富美男(
阪神)、
西沢道夫(
中日)、
大下弘(西鉄)、
千葉茂(巨人)、
服部受弘(中日)に次ぐ6人目で、監督としては初だ。
この試合は巨人の新人・
柴田勲が好投を見せ、勝利投手に。ほかにも中西太兼任監督をはじめ青年内閣でスタートした西鉄と
川上哲治監督率いる巨人の初対決に多くのページを割いている号だったが、今回は2人の若き打者の話を紹介しよう。
一人目は、四番・
長嶋茂雄の前の三番定着が期待される巨人の4年目、
王貞治だ。川上監督は大毎を退団した
荒川博を、ほぼ王のためだけにコーチとして招へいした。荒川は王を少年時代から知り、早実入学を勧めた人物。大毎時代は選手でありながら後輩の打撃指導を行い、天才打者・
榎本喜八から師匠と慕われた。川上と荒川の橋渡しは、荒川と同じ早大出身の
広岡達朗だったという。
荒川は12月半ばから王につきっきりで指導。当時多かったスパルタ的なものではなく、しっかりとした理論の裏付けに立ち、言葉を荒げることもなかった。ただ、頑固だった王を納得させるため、駆け引きはいろいろしていたらしい。
生前の荒川が言っていた最初の“はったり”も記事中に載っていた。
「ワンちゃん、君のフォームを根本的に直すよ。君のスイングは早実時代とまったく違う。いまは打てないのが当たり前のフォームになっているからね」
荒川からの指導を書き溜めたノートが1カ月ほどで2冊になったという王は、こう語っている。
「荒川さんにはこんなことも言われました。“ワンちゃん、お前には3割打者になれる方法とホームランを打つコツを伝授する”と。フォームは、ずいぶん直されましたよ。バラバラにされたと言ってもいい。最初は打てなくて泣きそうだったけど、いまはやっと自分のものになりました」
近鉄の18歳、
土井正博の記事は『革命的四番打者誕生』と華々しい。高校を中退し、飛び込んだプロの世界だが、1年目のオフには早くも整理選手のリストに入っていた。それを拾い上げたのが、
別当薫新監督だった。
期待にこたえ、キャンプ、オープン戦と打ちまくり、別当監督も「おそるべき大器。近い将来一時代を築くよ。なにしろまだ18歳だからな。出す出さないは別とし、出すなら四番しかないよ」と大絶賛している。
もちろん、当時の近鉄は万年最下位状態。話題作りの意味もあったのだろう。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM