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甘いマスクもあって若い女性からの人気は絶大だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月26日だ。
1992年、
阪神が優勝争いに最後まで加わり、2位(
巨人とタイ)となった年の話だ。ちなみに阪神は85年の優勝から91年まで3位、6位、6位、5位、6位、6位で来て、93年から優勝する前年の2002年までは4位、4位、6位、6位、5位、6位、6位、6位、6位、4位である。まさに奇跡の1年だった。
この年の5月22日、阪神のプロ3年目、
新庄剛志が一軍選手登録された。三塁を守っていた
オマリーが右手首をはく離骨折し、全治3週間の診断を受けたためだ。
「きっと上がれると思って一生懸命やってきました。テレビで亀山(努)さんの活躍を見ていました。僕も先輩を見習って、ハッスルプレーを心掛けようと思います」
初々しくコメントした20歳の若者に対し、抜てきした
中村勝広監督は「多少のミスはあってもみんなの刺激になるでしょうから、我慢して使いたいと思っています」と言い、合わせて、いきなり「七番・三塁」でのスタメン起用プランも明かした。亀山は同年、すでにハッスルプレーで頭角を現していた外野手だ。
迎えた5月26日の大洋戦(甲子園)がこの年の一軍初出場、そして初スタメンの試合だった。新庄は1対1と同点の2回裏に初打席に入ると初球カーブをいきなり左翼スタンドに叩き込んだ。これがプロ初本塁打だ。実は、このときのバットがオマリーのもの。治療中のオマリーのために……というわけではなく、ロッカーに無造作に置いてあったものを何気なく握ってみたら感触がよかったので、無断借用したらしい。
新庄は、その後、亀山とともに同年大躍進の阪神の象徴となり、“シンカメ・コンビ”“カメシン・コンビ”とも言われた。
写真=BBM