今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 小山正明は大毎へ行くのか
表紙は左から巨人・長嶋茂雄、デトロイト・タイガース、ケーライン
今回は『1962年11月26日号』。定価は40円だ。
阪急は
戸倉勝城監督が辞任し、
西本幸雄コーチが監督昇格。
「近代野球は打たなくてはファンから見捨てられる。攻撃は最大の防御。立て直しには打てるチ―ムにすることだし、それ以外ない」
と抱負を語る。62年の阪急は5位。チーム打率は.229でリーグ最下位だった。
西本監督は、大毎監督時代の部下でもある
山内一弘獲得を球団に頼んだという。
一方、山内のいる大毎は
宇野光雄監督を解任し、南海・
鶴岡一人監督と移籍交渉をしていたが、断念し、現役時代はサイン盗みの名人と言われた
本堂保弥監督が就任した。こちらは、
「機動力がないようでは近代スポーツと言えません。野球は走ることがすべてなんです。いや、すべてに通じるんです」
「近代スポーツ」は当時の流行語だったのか。
こちらは4位。チーム打率はリーグ1位の.268だが、盗塁はリーグ5位の75だった。
本堂監督、というより大毎は、
阪神の
小山正明獲得狙い。すでに4年前から動いていたものでもある。
同じく阪神─大毎の田宮謙二郎と小山が親しく、さらに、この年で小山は10年選手の権利も得ているので、小山と阪神との交渉次第では実現の可能性も十分にあった。
左目にボールが当たり、入院が続いていた阪神・
三宅秀史は現時点で左目の視力が0.04まで落ちた。一時は大毎が獲得に動いていたようだが、その情報を聞き、断念した。阪神は外野手の
ソロムコにサードを練習させ始めたようだが、結局公式戦でのサード出場は一度もない。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM