
ウイニングボールにかぶりつくパフォーマンス
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月30日だ。
1995年のパ・リーグは、当初
西武が走って
オリックスが追い、2強4弱とも言われたが、これを“なんとなく”ながら追いかけ始めたのが
ロッテだった。
第1期バレンタイン監督初年度の戦いだったが、6月22日まで最下位。のちバレンタイン旋風とも言われるが、それほど華々しかったわけではない。
ただ、4弱のゲーム差があまりに接近していたので、24日の勝利で1日にして6位から3位へ上がっていた。
当時のロッテの話題は、日本初のGMとなった
広岡達朗とバレンタイン監督の“どちらが偉いのか”だった。
マリーンズファンには、バレンタイン監督のパフォーマンスと積極性あふれる野球が徐々に支持を集め始めていたが、人事面では広岡派とも言える
江尻亮二軍ヘッドコーチが広岡GMの鶴の一声で新設の一軍ヘッドコーチに就任、むしろ広岡色が強まっていたようにも見えた時期だ。
ただ、バレンタイン監督、この時点までは、広岡GMが何をしようがまったく気にすることはなかった(ように見えた)。
これは名言だと思うのだが、キャンプで広岡GMが自ら選手の技術指導をしたとき、記者から「やりにくくないか」と聞かれたバレンタイン監督はこう答えている。
「広岡さんに『野球を教えるな』というのは、水の中で魚に『泳ぐな』というようなものだよ」
ただし、そう言いながらも、少しずつバレンタイン色を出しつつあったようにも見えたのが、6月後半のこの時期だった。
6月30日、
日本ハム戦(東京ドーム)の選手起用もそうだ。新人・
黒木知宏の先発である。
黒木はここまですべてリリーフで7試合に登板し、0勝5敗、防御率5.27と散々。ただし、記者たちに「ジョニーと呼んでください。ジョニー
ウォーカーの黒木ですから(ジョニ黒)」とあいさつしたように、とにかく明るいキャラではあった。
まあ、バレンタイン監督にしてもダメ元での指名だったのかもしれないが、黒木はなんと毎回の12奪三振で完封勝利を挙げてしまった。「思ってもみなかったんで、びっくりしました」と黒木。カメラマンの前でボールにがぶりのパフォーマンスも見せた。
尾花高夫コーチも「完封してこいと送り出したら本当にいい度胸してますよ」とややあきれ顔。150キロ近い速球が武器だが、「目標は170キロです」と、どこまでも人を食った男だけに、ボールを食うくらいは朝飯前だったか……。
写真=BBM、